四日に女優のTから問い合わせ。Tの相手役が、腰を痛めて動けなくなった。その相手役とは、短編映画を撮ることになっていた。それとは別に、九日に舞台を競演することになっている。それには、車椅子に乗ってでも出たいらしい。だから、映画はキャンセルした。ところが、映画も今週末までが、実質締め切りだ。急過ぎてタレント事務所で探してもいないらしい。
あなたは無理かなあ。五日が打ち合わせ、六日がロケ。
メールした。オーケー。ワチキが出ましょう。
夕方、Tが脚本を届けに来た。私は、仕事を終えて、深夜読んでみた。大急ぎで書いた脚本だが、あれこれ言う立場にはない。
五日の午前に幾度か読んで読み合わせを放送局のスタジオでやった。
テレビのディレクターが、映画監督をやることになったので、放送局を使わせてもらったのだ。
私は、メリハリがつきすぎの、演説、説得口調。あるいは、演技過剰の現代新派。いずれにしてもディレクターの望む淡々とした味のある弁舌とは正反対だ。
全編をマスターとして録音した。私の声は低く、語調が決断的で、恐ろしいそうだ。だいぶ進歩したが。
翌日、朝起きて、せりふを暗記した。全体を記号化し、恥ずかしながら、語呂合わせも使い、とにかくも暗記したのだ。Tを相手にしないで暗記して、霞ヶ浦のロケ地に向かう車の中で、監督と関係者が不安げに見守る中で、Tとリハーサルした。
観光用の船をチャーターしてあった。私は変装をしでかされて、すぐに本番スタート。ところが、最初のカットで、Tの言っていることが全く聞こえない。私の言い掛けに答えるべき発言がない。霞ヶ浦を航行する船の波音が、隣のいすに坐っているTの言葉を消してしまう。ましてや、カットAでは、彼女が私に日傘で持って自分の姿を隠している状況だ。口の動きさえ見えない。会話のピンポンの往復が不可能だ。スタッフ一同愕然とした。
Tと席を入れ替わってからの場面でも、隣の席に坐っているTの声が聞こえない。立つともっと聞こえない。時々波音を貫いて聞こえる断片と読唇術に頼るしかない。スタップが掛けてくる声も聞こえない。なんと異常な状況であることか。
私は、Tの唇の動きを見ながらせりふを言うチャンスをうかがうが、Tが唇を閉じてしばらくとどまっていないと、こちらは言うチャンスを知ることが出来ない。長く間を持たせることは出来ないので、Tが見切り発車をする。ああ、間違った、と私がTに合図すると、悲しそうな反応をする。
監督が、手で空を切って、発言のスタートを合図するようにしたが、どちらのスタートか、数を重ねるうちに分からなくなる。赤か白かの手旗信号でも使わなければならない状況だ。もうこうなったら、声が全くマイクで拾えないので、後でかぶせるしかない。
早くマスターを撮ってしまおうという方針で、せりふは通しでしゃべる。自らの記憶力の極限をTと私は発揮せざるを得なくなる(Tの記憶力にはおそれいった)。私は、霞ヶ浦に飛び込んで逃げたくなったぞ。
こんな体験をしたからには、世の中の怖いものが、また数を少し減らした。