2回目の入院生活3日目が過ぎ…


昨日と同様、起き上がりや横になる動作は相当苦労したが、歩く時の年代レベルは80代ではなくなったし、少しずつ直立出来るようにもなる。


午前中に親父と母ちゃんと妹が来てくれて、親父に入院手続書内の保証人にサインをするよう依頼する。


そして3人は地元へ帰る。


実家に向かう途中にばあちゃんの家に寄って、ばあちゃんに報告したらしい。


〜お盆に帰省したら、改めて家族と親族に感謝の気持ちを込めてお礼がしたい〜


前半は基本的には横になっているのが一番楽な状態。


熱は未だ37度台をキープしとる。


そして、ようやく病室から抜けた先にある通話可能ボックスまで1人で歩けるようになったので、ボックス内で職場の上司に電話し、事情説明する。


「え゛ーー!!」
「だってそれ6月復帰難しくない!?」


と言われ、かなりビックリしたリアクションを取る。


「はい、6月復帰辛いです。」


と返答したら、


「こっちの事は気にしなくて良いよ!」
「また落ち着いたら連絡頂戴!」


と言ってくれて一安心した。
とてもありがたい。


2回目の入院生活前半〜中盤にかけて、色んな支えがあり、ありがたい気持ちもある反面…


悲しみが怒りへと変わる。


「この世界は無慈悲すぎるわ!!」
「神も仏もない!!」


現世に対する怒りが強くなり、様々な感情が渦巻く。


はたまた疲れ果てて無気力になる。


病棟の窓から見える青空ばかり眺めていて、何もする気が全く起きない時が多々あった。


続く


【第1回目勉強会】


2/2(土)に勉強会を開催しました!



タイトルは…



『大切な人に安心してもらうための勉強会』

〜もしもあなたの大切な人がガンだと宣告されたら…

    あなたはどんな行動を取りますか?〜



はい、長ったらしいです笑。

けれど、そう言わざる負えません笑。



お互いの自己紹介して、

自分だったらどんな行動を取るかをテーマにしたワークをして、

サポートしてくれた方と参加者からの質問に答え、またまたワークをする。




これがザックリとした流れです。




自分自身、今まで周りの人間がガンになった人はいなくて、いきなり自分自身がガンになりました。



そんな時…



「周りの人間はどう考えていたんだろうか…。」



そこに焦点を当てました。



闘病中、様々なドラマがあり、人間関係において


良い事

悪い事


が沢山ありました。

 


こういう勉強会を開催したキッカケというのも、

自分自身が経験した出来事を参考にして、


「いざそんな状況になった時にどんな行動を取るだろうか…。」


と、少しでも考えるキッカケになれれば!


とあっての願いです。



次回は4月か5月にでも第2弾を開催する予定ですので、もし良ければ遊びに来てください😊



お会い出来るのを楽しみにしています👍



激動すぎた翌日…


時刻は朝8時半過ぎ。


ふと目が覚める。


「あ…。」


と呟く。


目の前に親父と母ちゃんと妹がいた。


親父が苦笑いながら一言。


「あ、じゃねーよ!ビックリするから!」


またまたこっちに来させてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


母ちゃんからは


「なんか前の時より管いっぱいあるよね?」
「悪化してない??」


と言われ、リアクションに困り果てた。


その後、親父に自宅の鍵を渡し、自分の着替えや荷物を持ってきてもらうよう依頼する。


スマホの充電が切れそうだったので非常に助かる。


色んな人達に状況を伝えたらみんなビックリしていた。

とてつもなく気まずい…。
 

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今回、十二指腸に穴が空いた原因が判明した。


病名:十二指腸穿孔


医者から告げられたのは…

「帝京大で入院した際に投与されていた痛み止めの薬が一つの原因だと考えられます。」

「ロキソニンと手術の肉体的ストレスが主な原因でしょうね。」


ザックリ表現するとこんな感じになる。


手術での肉体的ストレスが蓄積され、薬を飲み続けてバァァーーン!!!💥


確かに帝京大で入院していた際、ロキソニンを服用していた。

痛み止めの薬って効果が効く反面、腸が荒れる副作用があるから腸を和らげる薬も同服していたが、どうやら体質的に合わなかったらしい…。


とんだ二次災害だ…。

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昼下がり…


親父達が病室に戻ってきて、多くの荷物を持ってきてくれた。

1回目退院時に着ていた私服とか、バスタオルとか…

予め、持ってきて欲しいリストを親父にラインで伝え、希望通りの荷物を持ってきてくれた。


家族の連携プレーに感動。


3人とも疲れ果てていたので、

「今日は俺の部屋でゆっくり休んでくれ。」

と言い、3人は病室を後にした。


本当にありがとう。


その日の夜…


ベッドのすぐ近くに洗面台があったのでなんとかそこまで歩き、歯みがきとうがいをしてみたが、以前よりもスムーズに出来ている!

下歯裏も徐々に出来始めている。

腫れも大分引いていて、縫っていた糸も取れ始めている。


熱も37度台まで下がった。


一山越えた感覚を得た。


続く
病棟に到着し、すぐさまベッドにて横になる。

しばらく横になったら大分楽になり、スマホも見れるまでに復活した。


友達から5月下旬に家に行くとの連絡があり、

「実はまた入院する事になってしまった」

と返信。


その後電話があり、状況を説明した。


かなりビックリしていて、言葉を失っていた。


これは全然覚えていないのだが、

「死にたい…」

と言っていたらしい。


数分の電話が終わり、何もせずに再び横になる。


そんな時、ふとこんな事を考えるようになる。


「いざ、死にかけるとあんな風になるのか…。」


数時間前の出来事を振り返るとゾッとし、今後は簡単に命を粗末にするような事はしちゃダメだとしみじみ思う。


今までの人生で良い事も悪い事も沢山あり、
悪い事がある度、


「生きてる価値がない。」

とか

「さっさと死んで楽になりたい。」


とかそんな事ばかり考えていたが、
その考え方自体がアホらしくなってきた。


「とにかくまだ死んじゃダメだ!!」


余裕が出始めると


「生きてやる!」


と執念を燃やす。


数時間後…


トイレに行きたくなり、ナースコールで看護師を呼ぶ。


しばらくは1人で歩けないから看護師付き添いでトイレに行く。


起き上がる時もかなり苦労したし、直立で歩けず、腰痛持ちの爺さんの様な歩き方しか出来なかった。


看護師からは自分の歩く姿を見て


「歩き方が80代のおじいちゃんですよ!」


と言われ、かなり納得した。


しばらくは尿の測定をしないといけないので専用のトイレで用を足す事になる。


ベッドに戻り、横になろうとする。
するとどうだろう。


激しい痛みが走る!!


横になる体勢が一番キツい。


未だに38度以上の高熱がある状態で長すぎた1日がようやく終わった。


続く

自治医大埼玉医療センターに到着したらすぐさま処置室に運ばれた。

 
 
帝京大での採血や点滴跡が多く残る腕に何度も採血されたり、点滴も打たれた。
 
 
その後、造影剤を使用してのCT検査をする話になり、CT検査の同意書にサインした。
 
 
検査の結果…
 
 
「十二指腸に穴が空いています。」
 
「はぁ!?」
 
「緊急手術した方が良いかもしれません。」
 
「これはご自身の意志も考慮しなければならないので、強制ではないのですが…。」
 
 
この時こう思った。
 
 
「なんでだよ!!」
「癌関係ねーじゃん!!」
 
 
医師に問いかけた。
 
「やっぱやっといた方が良いんですか…?」
 
「やっといた方が良いと思います。」
 
また文字すらまともに書けない状態で手術同意書にもサインした。
 
 
すぐさま緊急手術の準備が進められ、右脚付け根に注射打たれ、導尿もする羽目に。
 
 
これらがとてつもなく痛すぎたし、めちゃめちゃ違和感がある。
 
 
医師から
 
「今の胃の様子を診てみましょう。」
 
と話され、
 
鼻からチューブを通され、先端が胃まで到達した。
 
 
「今から胃から出血してるか確認します。」
「出血してたら手術する方向で行きますので。」
 
 
胃から出てきたのは薄緑色の胃液だけだった。
 
 
「手術しなくても大丈夫ですね!」
 
「胃液と空気が溜まってるので抜きましょう!」
 
「とりあえず、このまま2週間くらい様子見で!」
 
「出血があったら手術しましょう!」
 
 
「良かったぁ…。」
「また手術となると…。」
 
 
ひとまず安堵し、一気に不安が取り除かれた。
 
 
入院先の病棟が決まるまで処置室で安静にしていた。
 
 
導尿する必要もなくなり、カテーテルが外された。
外された時も痛かったが挿された時程ではなかった。
 
 
その後、排尿したくて尿瓶が渡された。
排尿した時、かなり痛みがあったのを今でも良く覚えている。
 
 
医師が両親に電話したらしく、
 
「お父様は
 
“仕事の都合をつけて行きます”
 
との事です。」
 
と話していた。
 
 
入院先の病棟が決まり、処置室で処置してくれた看護師から
 
「頑張ってくださいね。」
 
と言われ、
 
「さっさと治します!!」
 
と言い、別れを告げた。
 
点滴の影響なのか激しい腹痛はなくなり、少し楽になった。
 
 
肉体が楽になったからなのか今まで抑えていた感情が爆発してしまい、病棟までストレッチャーで運ばれている時に
 
 
「せっかく退院出来たのに…。」
 
 
と呟き、大粒の涙が止まらなかった。
 
 
こんな現実を受け入れられず、めちゃめちゃ悔しかった。
 
 
「泣きたい時は泣いても良いんですよ。」
「全部吐き出してくださいね。」
 
 
と看護師から優しい言葉をかけられた。
 
 
冗談抜きで白衣の天使にしか見えなかった…。
 
 
ここから望みもしない2回目の入院生活が始まる。
 
 
続く
 

一通りの家事が終わり、久々に自宅の布団で眠りについた。

 
 
深夜にふと目が覚める。
 
 
するとどうだろう。
 
 
激しい腹痛に襲われたのだ。
 
 
「なんだ!?この痛みは!!」
 
「あ゛ーーーーーーー!!」
 
「誰か助けて!!」
 
 
訳分からず強烈な痛さのあまりずっと叫んでいた。
 
冗談抜きで外に誰か助けを求めるレベルの痛さだった。
 
トイレに行きたかったが、立ち上がるのも歩くのもかなり困難で、たった数m歩いただけでこんなに苦労したのは生まれて初めての経験だ。
 
 
一旦腹痛は治まり、また朝まで寝た。
 
しかし…
 
朝目が覚めたらまたとんでもない痛みに襲われたのだ。
 
独り部屋に自分の叫び声が響き渡る。
 
 
意識が朦朧としている時、母ちゃんに電話していた。
 
 
「もうダメだ…。」
「腹痛い。」
「自分でどうこう出来るレベルじゃない。」
 
 
かなりビックリしたリアクションをしていて、
 
 
「帰るんじゃなかったわ。」
「なんか申し訳ない。」
 
と言われ、
 
「自分の足で病院行けないから救急車呼ぶわ。」
 
と言い通話終了。
 
 
その後…
 
119に電話し、容態と住所と名前を言い、部屋の鍵を開けるよう指示があった。
 
最後の力を振り絞り、玄関に向かい鍵を開けた。
 
その後すぐに寝床に戻る。
 
 
数分後…
 
 
「ピーポーピーポー」
 
 
というサイレンに気付き、一安心した。
 
 
救急隊員が部屋に入ってきて、血圧検査などが行われた。
 
 
「財布と薬と鍵とスマホと保険証はどこですか?」
 
 
と聞かれ、隊員に置いてある場所を教えた。
 
薬などが入っていた手提げに一式入れて、寝床からタンカーで運ばれた。
 
 
その際にサンダルも持ってきてくれて、部屋の鍵も閉めてくれた。
 
 
初めて救急車の中に入った。
 
 
入って早々、心電図・触診・体温・血圧検査され、緊急連絡先(実家の電話番号と両親の電話番号)を聞かれた。
 
 
正直言うと、何も話したくなかった。
 
 
腹痛いし、喋れる様になった訳だがまだまだ滑舌が悪く隊員に伝え辛い。
 
話すだけでも相当疲れる。
 
 
 
そんな中、搬送中に不思議な体験をした。
 
 
突如幼少期の記憶が蘇り、今まで歩んできた人生の記憶が目に見えないスピードで走り去っていったのだ。
 
 
この時こう悟った。
 
 
「俺、このまま誰にも看取られず30手前で死ぬのか…。」
 
「人生ってあっけないな…。」
 
 
これっていわゆる走馬灯なのだろうか…。
 
 
今まで味わったことのない痛みだったので、
 
 
を覚悟した。
 
 
触診の際、お腹を押され、離された後の痛みが強かった。
 
熱も38度近くまで上がっていたことにビックリ。
 
 
20分程搬送され、受け入れ先の自治医大附属埼玉医療センターに到着した。
 
 
続く
退院直前になると食事は3分粥から7分粥へと変わる。


けれど…

元気な時より食べるスピードが激減。

左側の歯で食べ物をまだ上手く噛みきれない。

それに、久しぶりに固形物を食べた影響なのか分からないが激しい腹痛に襲われる事があった。

腸がビックリしたのだろうか…。

こういう時は何もせず、横になるのが一番だ!


舌の下部の痛みもなくなり、上下に動かせるまでに復活。


食事中に舌を噛んでしまい、出血が止まらない事もあった。
左側の舌がまだ膨れている影響かな?


舌の側部や下部にある糸が出始めて気になり始める。

この糸は何かというと…

切除部分を縫い合わせたもの。

この糸は数日経つと自然と取れ始めて、糸を飲み込んでしまっても胃の中で溶けてしまう無害の糸である。


この頃になると、歯磨きは下歯裏側以外は問題なく出来たし、うがいもぎこちないが出来た!


主治医からはアイスの棒か何かで舌を押し付けた状態で舌を上に上げるリハビリをするよう薦められた。



そして…!


いよいよ退院だ!



退院日の午前中に母ちゃんと妹が来てくれて、退院手続きも完了して、荷物をまとめる。


退院日は見事な五月晴れ。


入院中は雨の日が多く、大雨にも関わらずお見舞いに来てくれた方もいた。

申し訳ない気持ちとありがとうの気持ちででいっぱいだった。


「ようやく入院生活ともおさらばだ!」


そんな気持ちになり、外の世界も清々しい。


最寄りの十条駅まで歩いて移動したが途中で息切れを起こす。

体力がなくなってる。

駅に到着し、電車に乗るも満員でしばらく立ちっぱなし。

冗談抜きで嫌になっていた。

途中から座る事ができ、大宮駅まで向かい、そこからタクシーで帰る。

久々の自宅に到着したら早速横になる。


しばらく休んだら地元から来てくれた母ちゃんと妹の見送り。


母ちゃんが地元から手作りの料理を持ってきてくれた。

「ちゃんと食べとくんだよ。」

と言われ、

「はいよ!本当にありがとね。」

と返答し、2人に握手をした。

1人になってからは母ちゃん手作りの料理を食し、洗濯もした。

「明日からは楽しく無理しない生活を送る!」


そんな感じでワクワクしていた…




2回目の地獄まで残り数時間…
入院生活も中盤に差し掛かり、耳などの突発的な痛みはなくなり、痛み止めの点滴もしなくても大丈夫になった。


滑舌はかなり悪いが、筆談なしでも喋れるまでに復活した。


だが…


イ行とエ行の発音がとてつもなく難しい。


舌は横に動かせるまでにはなったが上げるのがきつい。
舌の下部が痛い。


今度は抗生剤の点滴を打ってもらう。

抗生剤は細菌などの抑制効果がある反面、お腹を下しやすいリスクがある。


けれどもそんなのは全然大したことない。


点滴も外しても良い時間帯があったから解放されたような気分になる。


点滴打ってない間、お見舞いに来てくれた友人と気分転換で院内のガーデンに行った。

少し歩いただけで軽いめまいを引き起こす。
体力が落ちている証拠だ…


ある日、家族や友人に電話してみた。

相変わらずぎごちない発音だったが
家族からは…

「大分伝わるよ!」

「喋れるようになったな!」

とか言ってくれた!

退院近くになると、流動食から3分粥へと変わり、久々の米粒を食べ、鱈の汁を飲んでとてつもなく感動したのを良く覚えている。


この入院期間中に家族や親戚はもちろん、
大切な友人達もお見舞いに来てくれた。

「退院したら何食べたい?」

とか

「退院したら何したい?」

とか


聞かれたもんだから


「焼き鳥食べたい!」

とか

「寿司食べたい!」

とか

「どこか遠い場所へ行きたい!」

ってな感じで返す。


想像するだけでとてもワクワクするんだ!


退屈な入院生活に刺激を与えてくれたのは友人達の存在だ。


誰かと話すだけでもとても気が楽になる!


退院したらやりたい事はいっぱいある!


「退院したら色んな物を食べて、行きたいところに行く!」という目標があったからこそ嫌な気持ちを忘れられたし、こんな状況を乗り越えられたのだと思う。


さて…


そろそろ退院も近い。


続く







相変わらず喉も痛いが、突発的に耳周辺が痛くなる。

 
痛みが走ったらその都度ナースコール。
 
まだまともに話せないからノートに
 
「耳が痛いです。」
 
と書いて、看護師に見せる。
 
その後痛み止めの点滴を打ってもらう。
それと同時に頭も痛くなる時もあった。
 
こんな状況は3日程続いたような気がする。
 
 
手術日2日後に母ちゃんと妹と弟が来てくれた。
 
ここでも会話は基本的には執筆。
 
たまに話してみたりしたけど、全然伝わらない。
これでも少しは発音がましになってきた方なのだ!
 
じいちゃんの件で大変なのに遥々東京にまで来てくれてありがたい。
 
母ちゃんが今の自分の舌を写メして親父に見せたらしい。
 
即親父から返信が届いた。
 
「大分回復してる!」
「人間の回復力はすごい!」
 
っていうリアクション。
 
自分では全然実感ないが少しずつ回復しているのはとても嬉しい。
 
元気になってお盆に地元で会おうと約束し、家族は去っていった。
 
 
 
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ここで話は変わりますが…
 
そもそもなぜ舌癌になったかを説明します。
 
舌癌は主に50代〜70代の方が発症しやすい病です。
その全体の1/4に50代未満が含まれます。
 
 
主な原因は
 
・飲酒
・煙草
・虫歯
 
などが挙げられます。
 
 
しかし…
 
 
自分は浴びるほどの酒は飲まないし、
煙草は吸いません。
 
 
その時に虫歯はありましたが軽度な
レベルでした。
 
 
何故こんな事になってしまったのでしょうか?
 
 
その原因は…
 
 
舌の粘膜が弱まり悪性腫瘍になってしまった
 
 
からなのです。
 
 
どういう事かと言いますと…
 
 
元々、自分の奥歯が左右共に内向きで
とんがっていて、長年の間舌と擦り合う状態が続いていたのです。
 
 
すると…
 
 
舌の粘膜が弱まってしまいます。
 
 
弱まると恐ろしい事に悪性腫瘍となってしまうのです。
 
 
これが今回のカラクリです。
 
 
いくら健康に気を遣っていても思わぬところで発症してしまうのが癌の怖いところです。
 
 
原因を聞いた時はとてつもなく驚愕しました。
 
 
「まさかそんな外的要因で癌になるとは…。」
 
 
予想だにしませんでした。
 
 
主治医からは
 
とんがっている部分を丸くするよう言われました。
 
その治療は後々行うことに。
 
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次話より入院生活に戻る
 
 
 
続く
 
「手術終わったんだ…。」

と一安心したのも束の間。

なぜか血混じりのタンが大量に出る。

常にティシュがないとダメだった。

しばらくして、タンを吐きながら悶え続けていると病室に戻っても良いという許可が下りた。



病室には親父がいた。

19時までは安静にするようにとの事。

トイレに行きたかったが、体が全然動かない。
尿瓶を渡されたが、排尿出来ない。


そんな時、親戚が来てくれた。

なにも喋れなかった自分は左手で握手を交わした。
 
「ちゃんと治すんだよ。」

と言ってくれて去っていった。


親父は17時手前までそばにいてくれた。

明日から地元で仕事があるのでここでタイムリミット。

親父とも握手をして去った。


親父が去った後に、看護師から

「動いても大丈夫ですよ。」

と言われ、即トイレに向かった。
問題なく排尿出来た。


そして、本当の地獄がここより始まる。


その日の夜は全然眠れなかった。

麻酔が切れた影響で、喉はかなり痛むし、
顎も腫れていて、血混じりのタンが大量に出る。

舌も腫れているのでタンすら上手く吐き出せない。

上手く吐き出せないのでとてつもなくもどかしい。

まさにこの世の地獄にいるような感覚になり、心が完全に折れてしまっていた。

そんな状態が翌朝まで続いた。



翌朝を迎え、何とかスマホを見れるレベルにまで復活した!

色んな人達に手術無事終了の報告したらみんな喜んでくれた!



今日から早速流動食が出された。

重湯と具なしスープとドリンクと摺り切り状の果物(ピューレ)などだ。

重湯とか具なしスープは飲めるけど、ドリンクはストローで吸い込んで飲もうとしても全然飲み切れない。

飲み込む時は喉がかなり痛い。

全然喋れないし、
舌を動かす事も
歯磨きも
うがいも
全然出来ない。

飲み薬も出されたが舌が腫れていて上手く飲み込めない。


入院生活前半はそんな状況。


続く