今日も経済のグローバル化が進んだり…

近未来はAI台頭が著しくなるであろう現代です!

21世紀初頭頃からは、IT革命といわれ今も我々は

その革命後の真っ只中にいて!

 

今こうして、ブログを通して多くの方と時も場所も

選ばずに…ネット環境さえあれば?好きなだけ読み

たかったりする記事にアクセスできます。

 

その革命の恩恵を充分に受けているといえるでしょうし?

その様に、人類には時に核となる革命が起こっています!

それは、火を起こす技術であったり、鉄を扱う技術や近年では

英国起点とした産業革命もありました…

 

今回、取り上げる革命は縄文と弥生時代を大きく別ける現代にも

受け継がれ、我々の食文化に欠かせない農業革命についてです!

現代の我々も糖質制限などで、控えない限りお米やパンを毎日

食べていることでしょう。

 

今回は、弥生時代の話なので主にお米の話中心に、考えたいと

思います?因みに、農業に詳しい人の話では小麦栽培の方が、

お米よりも作物としての環境や耐久性では、かなり大変で…

それも小麦中心の地域での争いが多かった要因では?

 

とまで言われてましたし、+肉を食べる食文化も多く?

今流に言えば、肉食系人種ともいえるかも知れないです。

明治の文明開化まで、魚は食べても肉食はあまりなかった

日本ですからね…

 

確か、切支丹時代に家畜である牛や馬を食らうなんて、南蛮人

は何て野蛮なんだという?確か秀吉だったかな、書状が残ってる

みたいです。

 

しかし、日本人も縄文時代くらいまでは海や川では魚海産物食べ、

野山では多種多様な野菜や果樹、そして動物も捕獲していた…

狩猟民族でした!

 

なので、日本人が肉を食べなくなったのは弥生時代以降~明治の

文明開化位までだと思われますね?

なので、縄文時代は狩猟時代で弥生時代からは、農耕時代と分ける

のが分かり易い区分けかなぁと、、、

 

なので、歴史の授業で習った縄文弥生時代のはっきりした区分けは、

なく日本列島に狩猟民族と農耕民族が住み分けていた時代が、あったと

言われています。それが、徐々に農耕民族に淘汰されていったものと…

 

因みに、古事記日本書紀には神武天皇から始まる統治に、稲作を主し

燔祭物を神に奉げるとあり!農耕民族が広まった大きな理由ともいわれ

北の蝦夷は、肉体が大きく手強かったというのも蝦夷は狩猟民族故に、

肉体的に大きくなり強靭だったといえるかもしれません?

 

弥生時代になり、農耕が主流になったために貯蔵もできるため豊かになり、

人口が急激に増えたらしいです…

しかし、天候不順により採れない時もあるし台風などにより、農地が荒ら

されて食うに困る事もあります!

 

その為に、武器を持って別の村或いは、他の民族に攻め入って食糧や農地

その物も略奪争いが起こり始めるのもこの時代くらいです。

縄文時代の人骨からは、争いで亡くなった形跡が殆どないといわれています

からね…

 

農耕の様な土地争いもなく、人口も少なく人々の食料もそれなりに(贅沢では

ない程度に)事足りていたのかもしれません?

そして、何と言っても縄文という言われの縄文式土器の豊かな芸術性!

これは、芸術を楽しめる暮らしの余裕があったという証明ですよ…

 

それが、弥生時代の土器からは見られないのも、農耕に変わり田の手入れと収穫

やその後の貯蔵管理に、時間労力を使うので余裕もなく又争いもあったことの

証明だとも思われます?

 

安全に暮らすためのそれなりの兵力や田畑管理するシステムも必要になり、

自ずから管理する者や武力先んじる者など、又天候や豊作を祈祷できる者

卑弥呼の様な…貧富の差がより、鮮明になってきたものと思われます?

 

今までの話、時代は変わっても人口増加や現代の経済不況による、少子化

問題と移民による治安問題や他国との領土問題及び、東アジア情勢。

どれをとっても共通の問題であると感じますね!

 

人口も減っていくわけだし…いっそのこと縄文時代の原点回帰し、

人口にあった豊かな自然と芸術文化を楽しむ(趣味とか)心豊かな

暮らしが、これからは求められているものと…

 

 

民数記から

「イスラエルの人々に言いなさい、『わたしが導いて行く地に、あなたがたがはいって、
19 その地の食物を食べるとき、あなたがたは、ささげ物を主にささげなければならない。
20 すなわち、麦粉の初物で作った菓子を、ささげ物としなければならない。これを、打ち場からのささげ物のように、ささげなければならない。
21 あなたがたは代々その麦粉の初物で、主にささげ物をしなければならない。