今から30~40年位前に、ジャパンパッシングというものがあり、

日本が世界経済を君臨しつつある事に対して攻撃されていたもんです😓

 

それに対し日本は反論らしい事もなく、ただ「出来るだけ改善します!」

と対応していたとか…ある外国人によると?日本には三つ程の曖昧さがあると。

 

一つ目は、日本は主権国家として最善のナショナル・インタレストの選択を

していると諸外国から思われているが、実はそのようなことができない国なので

はないか。だから何かが欠如しているか、何かを粉飾してきたのではないかという

ものです。

 

二つ目、日本は自由資本主義経済を徹底していると主張しているけれど、どこかでごま

かしているか、さもなくば内側では別の経済文化行為を許していて、外側の顔と内側の

顔を使い分けているのではないか。

 

そういうふうになっていても、そのフィクションを国民が納得して許容しているのでは

ないかというのです。

 

三つ目、日本には世界中がまだ理解できていない名付けにくい体制、たとえばかつての

武家制度や天皇制がそうであったような、海外からは理解しにくい体制をどこかに温存

しているのではないか。

しかし、もしそうだとしてもその体制について日本は自覚も説明もできていないのだろうと

いうものです。

 

権力なき国

日本には、権力構造が不透明であるから…西欧諸国のような権力解体が難しい

 

日本国憲法が定めるところでは、日本は議院内閣制の民主主義国家です。主権は国民にあり、

立法権は選挙で選ばれた議員によって構成された国会にあります。

 

したがって国会は法的にはすべての決裁者であるわけですが、日本の国会は両院ともにそうなって

いない。議題はたくさん出入りしているけれど、野党は「内閣なじり」ばかり、与党は「責任のがれ」

ばかりです。

 

内閣総理大臣にしても 自民党政治の領袖を争うだけで、国家の行政責任をまっとうするための権力を

掌握もしていないし、行使もしていないという…

なら、官僚か財界が権力を行使しているかというと?

 

こかの役所や官僚のリーダーが目立つことはなく、大半の官僚の見解は政府の見解の「下支え」か「上塗り」

が多い。経団連が国家の指針に対して明確なオピニオンを発表したことなどないし、有効な助言を

しているとも感じられない。

おそらくボスが多すぎて、両方ともに決定的なボスをつくれないか、つくらないようにしているのです。

 

それぞれの団体、たとえば警察、農協、日教組、日本医師会、法曹界、体育界などは中央集権的にできて

いるのに、それらが組み上がった全体としてのパワーシステム(権力構造)は、どこにも体現されていない

のです。

 

自民党にしても派閥のパワーバランスがあるだけで、損得勘定や選挙対策に追われているだけで…

予算も財務省などにより握られている。

 

中央集権力は中央の力が地方の末端に及ぶことでもあります。けれども日本のばあいはその「押さえ」は

地方にばらまく地方交付金や「補助金」に頼っているようで、それは政治意志や権力意志ではなく「お金」

なのです。

 

後は、警察や自衛隊と保守団体が権力の為に動いているかといえば?それもまた、確認見られない…

 

たとえば日本の警察権力は各国とくらべてみてもなんら遜色がないし、犯罪発生率や不正検挙率などを

見ても格段の腕前をもっています。極度に中央集権化されている度合いも国内随一のようです。

 

もしも野心を抱く一派がクーデターをおこすとすれば、公安警察と機動隊を握っている警察権力が一番の力

をもっているといえます。

しかし、国際的にみても…ナショナルインタレストが高いとは言えないのではないのか?

 

自衛隊はどうかといえば、こちらは日米安保体制に骨の髄までしっかり縛られていて、にっちもさっちも

いかないでしょう。三島由紀夫がかすかな望みをもったことはありましたが、自衛隊の隊員にも反逆の野望

はひそんではいませんでした。

 

それなら他の保守的な圧力団体が何かを掌握しているのかというと、農協から神社庁まで、産業界から右翼勢力

まで、政治権力をほしがっているとは思えません。

自民党とボス交ができていればそれで十分なのです。これではどこからもジャパン・クーデターなど、おこりっこない。

 

日本の権力構造は、部分部分的な組み合わされたものとなっており、そのことを日本人自体も理解している者は

少ない現状ではないか?

 

 

民数記から、モーセ会見の天幕

'主はモーセに言われた。 '
'あなたはそれを彼らから受け取り、臨在の幕屋の作業に用い、それぞれの作業の分担に応じて、それをレビ人に与えなさい。 '

'和解の献げ物の動物の総数は、雄牛二十四頭、雄羊六十匹、雄山羊六十匹、一歳の雄の小羊六十匹。 以上が祭壇に油が注がれた後に、祭壇奉献のためにささげられた献げ物である。 '
'モーセは神と語るために臨在の幕屋に入った。掟の箱の上の贖いの座を覆う一対のケルビムの間から、神が語りかけられる声を聞いた。神はモーセに語りかけられた。'