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happy☆な気分(*^^*)

心の中でちょっとはきだしたいなーっと思ったことなどを綴っていきます。
のんびり更新ですが、気軽にみていってください☆

 こんにちは(*^^*)


開いていただきありがとうございます♪


前回は 精神疾患 闘病期5  退院後 実家帰省のことを 綴らせていただきました。


この頃から 過食チューイングの量や頻度が多くなってきました。


入院前と比べると食べる量が増えたのもあると思うのですが しっかり飲み込んでいる量は格段に増えました。


頭の中で チューイング(吐き出し)はしたらダメ チューイングすると頭がバクって余計に止まらなくなる と少しずつ思えるようになってきたからだと思います。


だけどコントロールすることはまだまだ難しく 頭の中ではわかってはいるけどそれを実行できない自分にイライラしたり 
自分の周りの状況(ストレスや不安の原因)が変わらなかったり 
それに対して自分が上手く対処しきれないことから 
ここから過食チューイング1年 非嘔吐(チューイング)過食1年続いていきます。


実家帰省後 家に帰ってから年末年明けのことを綴らせていただきます。


※私自身のことになりますので 自分中心視点となります。どうしても偏った表現や感じ方になってしまう場合がありますので ご了承ください。

拙い文になりますが よろしくお願いいたします。


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家に帰った日私の誕生日でしたがお祝い気分にはなれず 夫は仕事のため明日まで帰宅しないので 一人の家で今日までのいろんなことが頭によぎり過食チューイングをしてしまいました。


次の日からも 何か予定を入れると過食チューイングしなくなるのではと思い 脱毛やマッサージへ行ったけど マッサージを受けている間だけはリラックスしてるけど その前後はやっぱりダメで過食チューイングは続きました。


年末 1日だけ親が私の住んでいるところへ来てくれて会いました。(夫は仕事)


次の日2018年最後の日 入院中の義母の外出許可をもらい夫と義妹と私で 倒れて以来帰っていない義母の家へ行きました。


義母は家に帰りたいけど 今の姿を誰かに見られたくない思いなどで 病院から出るまでに時間はかかりましたが ずっと家に帰りたいと行っていたので なんとか連れていくことができました。


滞在時間は30分ほどでしたが 久しぶりに少し笑顔を見ることができたので 嬉しかったです。


年明けを迎え2019年になりました。


その日は1日家に居たのですが 夫に隠れて過食と少しチューイングをしてしまいました。


1月2日 夫は仕事のため私だけ実家へ帰省しました。この日は親戚への挨拶回りをして 夕方大学時代の友人と会う約束をしていました。


今の自分を見られることに不安感があり 何度かソワソワ感はありましたが 不安だけど友人と会えることが楽しみの気持ちが少し勝っていたため 抑えることができました。


夕方 友人と1年以上ぶりに会いました。


昨年2018年は1月年明けそうそうにインフルエンザになり その友人たちとの新年会に行けなくなり 2月にもう一度会うことになったけど 義母がすでに入院していてその前日に肺炎をおこしかけたりしたため 行けなくなったため 本当に久しぶりでした。


友人からはやっぱり心配されました。


身体や顔がやつれていたそうです。


昨年病院へ行き始めた8月の頃よりは体重は増えきたけど まだまだ雰囲気や顔色などは摂食障害や不安障害と診断される前と比べると 自分が思っているより かなり違っているようでした。


この一年何が起きたのか話しました。


友人たちは ゆっくりと話を聞いてくれて だけど腫れ物にさわるような仕草などはなく 今まで通り接してくれました。


その友人の中に看護学校へ通う子がいたのですが この後も何度か 気遣って連絡をくれてその都度状況とかを聞いてもらいました。


自分が病気を患ったこととかその経緯など ネガティブなことを人に話すことがいけないことだと思っていたため それが余計に自分を苦しめていたことに少しずつ気づいていきました。


アドバイスが必ずしもほしいわけではなく ただただ誰かに話を聞いてもらうことで 気持ちの整理ができることを知りました。


ただ 人に話すときはネガティブな内容だけで終わるのではなく 今これにハマってるとか別のことも話すようにしています。


せっかく聞いてくれてるのだから 最低限の礼儀は常に意識したいと思っています。


実家への帰省は日帰りでした。


次の日 すぐには気持ちが切り替わらず家に帰ってきたことでまた現実に戻った感じがして 過食チューイングしてしまいました。


その次の日 久しぶりに気持ちが落ち着きそこから4日ほど安定しました。


できなくなっていた料理も少しずつ再開し始めました。


多分 友人に会えたことが大きかったのだと思います。


8月から介護休業制度などを利用し仕事を休んでいたのですが 休みの期限がもうすぐとのことで 派遣会社の担当者の方に電話をしました。


主治医の先生からはまだ働くのは難しいと言われていたこと 夫など家族からも反対されていたこと 私自身今の状態で働くのは不安だと言うことから 相談をすると 休職制度が利用できると言われました。


私の体調が壊れ初めた(生理がこなくなった)きっかけはこの仕事からでしたが 仕事の内容は好きでどうしても手放したくなかったため いつかは復帰したいとまだまだ思っていました。
[今まで退職された方々には職場のこの環境(主に人間関係など)のままでは 辞めた方がいいとずっと言われていました。]


この電話で担当者の方と話をしてから過食スイッチが入ってしまいました。


この日からは過食チューイングは週に5~6日ありました。


精神科受診は2週間に1回 生理の治療のための婦人科は月に2回ほど 通っていました。


1月下旬 日帰りで実家へ行きおばあちゃんに会いに行きました。


内容ははっきりと覚えていないのですが 手帳に何かショックな話を聞いたと書いてありました。


それがきっかけとなり 今までのいろんなことを思い返し 突然何もかも嫌になり 消えてしまいたいと思い 手首を刃物で… 
というところでハッと思いとどまり この気持ちを抑えないと何とかしないとと 頓服薬のワイパックスをもらっていた分全て飲み それでも消えたい気持ちがまだあり 誕生日の日に飲もうと思ってずっと前に買っていたお酒も飲んでしまいました。


いわゆるオーバードーズをしてしまいました。


それが夕方で 夫が帰って来て食事をだしたところから その翌日の夕方 婦人科からの電話が鳴るまで丸1日 記憶がなく 目覚めた時 自分が怖くなりました。


少し落ち着いたところで 夫に何をしてしまったのか話しました。


夫がどう思ったのかはわかりません。


その週精神科への受診があり 正直に話しました。


薬の変更(リスペリドン)と とりあえず1ヶ月は毎週の受診になりました。


週末 1月に行けなかった初詣へ行きました。


多分 夫が私の気晴らしにと思って連れて行ってくれたのだと思います。


その日の夜から薬の副作用(めまいや脚がムズムズするなど)が出始めたため週明け主治医の先生に連絡すると その薬(リスペリドン)はやめることになりました。


新しい薬(フルボキサミマイレン25mg2錠)頓服薬(エチゾラム0.5mg) をもらい 年末亡くなったおじちゃんの49日法要へ行くため実家に帰省しました。


そこから2週間の週末は夫が気晴らしに外へ連れ出してくれくれました。


とても珍しいことで戸惑いましたが 少し嬉しかったです。


この頃は過食チューイングは週に4~5日でした。


2月末 旦那の転勤が分かり その後義母は義母の実家がある市へ転院しました。


義母が倒れ入院生活をすることになったため 義母の実家近くに転勤できるように異動希望をだしていたそうです。


 義母の実家に近くなる(義妹が住んでいる)こと この時住んでいたところから田舎になり 通院に時間がかかるようになることなどで なんとなく気持ちが不安定になってしまいました。


引っ越し一週間前 今でも納得できない?許せない?ことがあり ますます引っ越しすることが不安になりました。
(このことは 人によってはそんなことで?と思うかたもいると思います。 これまでの経緯があり私のなかでは結構腹がたった出来事でした。)


続きます…














 こんにちは(*^^*)


開いていただきありがとうございます♪


前回は 精神疾患 闘病期4 入院期間のことについて綴らせていただきました。


精神科の入院とは言っても 内科病棟で任意入院という形だったため 持ち物を制限されたりすることはなかったです。


行動範囲は基本的にはベット上 ベット周り ナースステーションまでの廊下 辺りまでと一応限られていましたが 看護師さんに声をかけると 下の自販機や売店には行けました。


何を買ったかは確認されます。


3食出て その他の時間はのんびりと過ごさせていただきました。


それでも慣れない特殊な環境で 外に出れない(家族の誰かの付き添いがあれば出れますが…)というのは 気力が少しずつ奪われていくようでした。


どんな理由であれ できれば入院することなく したとしても短期間で退院できる方がいいんだと 思いました。


ずっと入院している義母はどんな思いなんだろ… と心が締め付けられます…。


2018年12月22日に退院し その翌日からのことを綴らせていただきます。


※私自身のことになりますので 自分中心視点となります。どうしても偏った表現や感じ方になってしまう場合がありますので ご了承ください。

拙い文になりますが よろしくお願いいたします。


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退院後も 薬(寝る前:レクサプロ 頓服薬でワイパックス 眠剤ベルソムラ)は 継続して飲んでいます。


2018年12月23日の朝 母からの電話があり 退院の翌日でもう少し落ち着いてから 折り返そうと思っていたところ LINEがきてその内容を見て すぐに電話しました。


小さい頃からお世話になっていた親戚のおじさん(祖父の兄弟)が亡くなった とのことでした。


とりあえず 「実家へ行くわ 」とだけ答えて 電話を切りました。


そのあと 段々と涙がでてきて溢れだし 過呼吸になりそうなくらい泣いてしまいました。


少し落ち着いてから なんとかシャワーを浴びにいきました。


頭がぼっーっとしながら いつもの倍以上の時間をかけてなんとか 準備をしました。


初めは電車で一人で行ってくると言いましたが 前に 電車に乗っていたとき 不安感などが襲ってきて途中で降りて コンビニをはしごして 過食チューイングをしてしまったことがあったため 旦那から一緒にいくからと 車で実家へ行きました。


夕方少し前 実家に着き おじちゃんの家へ行きました。(徒歩で行ける距離) 


直ぐには顔を見れず 少し落ち着き おじちゃんの顔を見ました。


苦しそうな顔ではなく どちらかと言えば穏やかな顔をしていました。


心が少し落ち着きました。


その帰り道 自分が通っていた中学校が目に止まりました。


ずっと聞かないように避けていたこと…


その日の夜ご飯は 私が選んで食べれるように 健康食バイキングへ行きました。


その時はまだ過食スイッチは入らなかったです。


その日の夜 旦那が寝てから 両親にあることを聞きにいきました。


私が 自傷行為(髪の毛を抜いたり 皮膚に爪をたてたり リストカットに近いこと(包丁などを手首に当てる)) をするようになった時期について 


中学2年生のあの時ぐらいからだということ


それまではうつむいて話をしていましたが 覚悟を決めたような目で真っ直ぐに両親を見ました。


その姿を見て 「そろそろちゃんと言おうか あの日何があったのか」と言われました。


当時から あの子が亡くなったのは病気とか 家でちょっと自暴自棄になって暴れた拍子に机の角にぶつかってその打ち所が悪かったからとか 言われていましたし 親からもそのように聞いていました。


学校ではいろんな噂がたっていたけど 親たちが言うことが真相だと疑わないようにしていました。


面白おかしく話す人たちもいました。


その時は 真相を聞く覚悟もなく ただただあの子がいないという事実だけを受け止めることで精一杯でした。


モヤモヤした思いを ある一つの事実が頭によぎりながら 何年も聞かないように過ごしてきました。


でも 多分 このモヤモヤした気持ちにもちゃんと向き合わないと 私の精神は不安定なままだと思い初めました。


真実を聞くきっかけになったのが 今回亡くなったお世話になっていた親戚のおじさんの顔でした。


親戚のおじさんの顔は その直前までは病気の痛みでつらかっただろうに 穏やかな顔をしていました。


あの子は どこか悔しそうなつらそうな顔をしていました。


そのことを話すと 両親はあの日何があったのかを教えてくれました。


結論 あの子は自殺でした。


首に跡があったそうです。


それを聞いて全てが繋がりました。


悔しそうな顔 首に巻いていたあの子がよくつけていたバンダナ。


そのことを聞いて 薄々感じていたことが真実だったこと。


そこまで追い詰められていたのに何もできなかった むしろ私があの子に最後まで気にかけてもらっていたこと 


後悔や失ってしまったあの子にもう会えないこと いろんな感情が頭に巡って これでもかというほど 涙が溢れだしてきました。


旦那のところへいき 心配してくれてたみたいで 起きていて ゆっくり少し話しました。


話したことで 少し落ち着きその日は眠りました。


次の日の朝 一人で中学校の周りを歩きあの時の気持ちが蘇りながら自分をあまり責めないように言い聞かせながら この気持ちを受け止めていく覚悟を決めました。


家に帰ると 過食スイッチが入ってしまいました。


それでも チューイングをすることは抑えられました。


夕方 親戚のおじさんのお通夜に行きました。


旦那は翌日仕事があるため 途中で帰りました。


お通夜が終わり親戚が集まりご飯を食べました。


久しぶりに会う いとこやはとこ 親戚の人たちと会えたことで 懐かしい気持ちになり 近況報告をしたりなど 宴会みたいな感じになり楽しくて 過食スイッチは入りませんでした。


翌日 告別式でしたが お昼ご飯をみんなで食べたあと 急に過食スイッチが入り だけどこんなところで途中で抜けるわけにはいかず 頓服薬(ワイパックス)をのんで 落ち着かせました。


無事に終わり その日は早く家に帰りたいと思い 家路に着きました。


その日帰ってからは過食チューイングしてしまいました。


                                                        続きます…


退院後いきなりのことで 戸惑いましたが 退院していなかったら行けなかったため 早目の退院になり結果的によかったです。


家に帰りたいと思った日  親戚のおじさんの容態が悪くなった日だったそうです。


この時 家に帰りたいと行っていなければ退院することができず お葬式に参加できなかったのです。


人生 上手いこと何か噛み合っていくものなのかなと思いました。


次回は 年末~のことを綴らせていただきたいと思います。


読んでいただきありがとうございました(^^)
こんにちは(*^^*)


開いていただきありがとうございます♪


精神疾患 闘病期4 入院期間のこと の補足です。


入院中 何を食べたのか記録しておくために 献立の参考にさせていただくために 写真をとっていました。


病院食が一体どのようなものが出るのか 参考までに載せさせていただきたいと思います。


病院食って思ってたより普通に美味しいんですね! 


決まった時間に3食 きちんとしたものを食べさせてくれる… 病院ってすごいですね… 有り難いことでした!


種類も豊富で 飽きることがなかったです。


※ 色補正などの加工なしでそのまま載せます。
   見にくいものもあるかと思います。
   ご了承ください。



















載せれるだけのせました。


見ていただき ありがとうございます(^^)