シェリーです。
僕の就職活動は、大きく分けて5つあります。
1.マスコミ応募時期
2.業界模索時期
3.就職エージェント時期
4.既卒求人応募時期
5.サイト求人応募時期
次に、既卒求人応募時期について書きます。
既卒生になった僕は広島に帰ってきました。
教授からはフリーターになれと言われていた手前タウンワーク片手に情報収集の日々を過ごしていました。
そんな中。
インテリジェンスの新卒者就職支援事業の案件を見つけました。
インテリジェンスと言えばサークルでかかわっていた協賛企業です。
これはチャンスだと思いました。
あの藤田晋もインテリジェンス出身だと聞きます。
起業への道のりになってるかもしれない。
しかし。教授はフリーターになれと言っています。
一度電話を掛けました。
もちろんフリーターがいいよとのことでしたが教授の耳には入れることが出来ました。
そうして僕はインテリジェンスに4月から入ることが確定したのです。
インテリジェンスでは広島が地元の同士をたくさん集めることが出来ました。
川崎医療大学のI君。北海道大学のW君。広島修道大学のM君。
そんな中僕は紹介予定派遣案件で地元呉の工業系企業に進路を決めました。
同期からは福利厚生がとてもいい人気の企業だと聞いていました。
しかしそれをまた邪魔する男がいました。父です。
父は「お前にはもっと大きい人生がある。その会社はヤクザ絡みだ。断ってこい」と僕に言いました。
そうして受かった会社を初めて蹴ることになりました。
おかげで大切にしていたKINGROADの時計を無くすことになりました。
そして次に行ったのがユニクロでした。
受かった工業系企業が特許絡みだったので同じく特許で成り上がったUNIQLOに誘導してくれました。
ユニクロでは立ち居振る舞いが学べるよと言われたのでやりますと言うと一週間後採用してくれました。
この感じで11カ月というほぼ1年持つことになるのですがユニクロは僕にとってほぼ新卒のアルバイトでした。
友だちのD君が学生の頃UNIQLOで大成長したと本人から聞いていたので僕は狙ってユニクロに入りました。
僕はUNIQLOで成長する。その覚悟でした。
実際柳井正の教えのあるユニクロはとても成長できる場所でした。
理想と現実のギャップの埋め方とか。
掃除のMECEのやり方とか。
とにかくスピードの仕事法とか。
仕事が終わるか時間が終わるかで考える時間管理術とか。
仕事に生きる僕としては最良の職場でした。
柳井正会長は本当に偉い人物です。
おそらく僕みたいな既卒生で名前のスティグマがある男を採ってくれたのは柳井会長自身が在日の韓国人血筋でありながら早稲田大学の卒業生だからでしょう。
僕も同志社大学ですしシンパシーは湧くのです。
実際早慶MARCH関関同立でUNIQLOに入る人は多いと聞きます。
新卒で入れても勝ちだったでしょう。※小売業界は価値でした
流石に準社員からの正社員は目指さなかったのですが準社員にする考えは店長にはあったと聞いています。
既卒になったからこそ契約社員からの成り上がり人生が僕にはあります。
フリーターだったらまた個人事業とか起業みたいな人生があるのだろうけど僕はアルバイトから上がっていく人生を取りました。
間違っていたとは考えていないのですが如何せん呉なのでミラクルはあまり起きないのです。
ある意味フリーターだったらどうなっていたのか。
飲食店でバイトしながらカフェでノマドワークしていたでしょう。
そしたら出版社に誘われるとかして編集アルバイトに就くかもしれない。
それはそれで面白いですね。ただ小さい人生だ。
どちらにせよ丁稚奉公の人生が幕を開けました。
しかし、教授との約束がまだ残っていました。
公務員試験受験です。
僕はUNIQLOを辞めた後にビアガーデンでフリーターをやります。
そしてバイト友だちを増やして公務員試験に挑むのでした。
その公務員試験決戦の地は三原市。
地方上級公務員と言われる大卒クラスの就職先でした。
サイト求人応募時期に続きます。
Ⓒシェリー/Sherry