☆「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」~戦争写真に想うこと~☆ | Color of Wish

☆「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」~戦争写真に想うこと~☆

好天に恵まれた週末、横浜で下記の企画展に行ってきました↓
見たのはコレ↓
「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」@横浜美術館↓
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先日、新日曜美術館で特集をやっていて、
あまり興味なかったのにいきなり火がつき
とびつくように「絶対行く!」になりました。

なぜか?惹かれたのは二人のプロフィール。
出自は二人ともユダヤ系。
左翼の活動したかどから逮捕されたり国から追放されたりと
同じような境遇の二人がパリで遭遇する。

親近感や共感が恋愛、そしてビジネスパートナーへと発展し
写真家のアンドレをポホリレが支援する傍ら
ポホリレ自身も写真の技術を磨き、やがて自分の名でも
写真の依頼が来るようになるというサクセス・ストーリー。
夢のようだけど憧れる。

写真家として売り込みために本名を捨て
「裕福なアメリカ人写真家」になりすまし
ペンネームを使って成功したこと。
そこが賢いなと感心した。
それもポホリレの案というのだから
彼女はビジネスセンスを持ち合わせているなと。

ポホリレは政治活動に参加したり、
写真家になるために努力したり
また写真家になってからも
戦場の女性兵士に積極的にカメラを向けるなど
自立した女性の象徴だったのではないかと思う。

それにしても果敢!!
「スペイン内戦」が写真家にとって
名を売るための恰好の題材であったとのことだが
そのためには、命を惜しまず戦場に立つ。
生活の糧を得るためだけではなく、
明らかに地位と名声のためということがひっかかる。

フォト・ジャーナリストとしては
戦争という非常事態を写し撮ることは重要なミッションかもしれないが
それが被写体となり、カメラの腕を競うための機会となっていることも否めない。

報道写真というのはどちらの意味も持ち合わせているということを
じかに感じ、複雑な気持ちになった。

ゲルダ・タロー(ポホリレ)が奇しくも危険な姿勢で
スペイン内線の負傷者を撮ろうとして命を落としたことからも
計り知れる気がする。

現場に肉迫した良い写真を求めるあまり、
自分を見失ったのかもしれない。

もちろんそれは仕事ではあったけれど
身の安全を踏まえた上での「良き写真」を求めるべきだったと思う。

享年26歳。きっと写真家として燃えたかったんだろうな。
燃え盛る前に燃え尽きた若い命。

そしてアンドレ(ロバート・キャパ)も
10もの戦争の戦地に赴き、現場の写真を収めたが、
最期はインドシナ戦争で、地雷を踏んで自滅する。

日本にも招待され、京都や熱海などの写真を撮っているが
それも歴史的な建物や遺産ではなく、
常に街ゆく市井の人々にシャッターを切っていたという。
それも被写体になった人に気付かれないように、空気のごとく撮るのだそうだ
だから、撮られた人はカメラを意識せず、自然な表情が写し出されるのだそう。
さすが。「さりげなさ」というのはプロの真骨頂かもしれない。
キャパの写真には、重々しい戦争の現状や気配を正確に伝えてはいるけれど、
再生への願いや救いが込められているような気がした。
銃弾で撃たれる瞬間を写した「崩れ落ちる兵士」はかなり衝撃だったけど。

また、ゲルダ・タローとロバート・キャパは
同じ場所に出向いて写真を撮っていたため、
同じ被写体をそれぞれのスタイルで撮ることもあり、
それぞれの個性が比較できて面白い。

ゲルダ・タローの写真はクリアでシャープな印象。
モノクロながら対象の立体感がよくわかる。
それゆえ、被写体として、犠牲となった死者や遺体にも
容赦なくカメラを向けている。

銃に撃たれたばかりの人の写真はあまりに生々しすぎる。
遺体置き場も写す。流れる血も写す。
これを見る限りでは、かなり強い性格だったのではないかと思われる。

自分なら躊躇するだろうな。
写真家として、注目に値する衝撃的な写真を発表したいと思っていたにしても。
殺される役を演じる役者を撮るのとはワケが違う。
フィクションじゃない、リアルな死を写し撮るなんて
コワくてとてもできない。そこにある負の気が写真の中に入る気がする。
無念の死を遂げた人を客観視する、標榜することは残酷なことだと。

ベトナムの戦争博物館で、枯葉剤の犠牲になった胎児が
ホルマリン漬けになっていたが、見世物のようにされているそれらに
カメラを向けるのはとてもはばかられた。

いくつもの戦場を撮るというのはどんな気持ちなのだろう。
荒んだ気持ちになるのだろうか。
それとも毎日が刺激的で非日常的な好奇心をそそられるだろうか。

建物が倒れ街が崩壊し人が狙撃され、壊滅していく。
破壊的な瞬間は目を背けたくても撮らなくてはいけない。

それを考えたら戦争写真家というのは空しい。
契約先から命じられて戦地へ行き、
写真のネガとともに無事に戻れることが大前提だけれど
それは当たり前のことじゃない。

戦争は敵方でなくても、ジャーナリストという中立的な立場の人でも
容赦なく殺戮の対象になる。

いや、戦争写真家ではなく「戦争」が空しいのだ
歴史は何度も戦争という間違いを繰り返し
街や人は再生し復興してきた。

3・11は震災が起きた日。
あの日の恐怖と衝撃を改めて想い、希望を祈る日。

まだ生活インフラが十分でない地域もあるという。
戦争でも、地震でも、壊滅した地が無事に蘇りますように宝石赤