エホバの証人2世として | 新しい自分日記 (´ー`*)

新しい自分日記 (´ー`*)

地味でアホ真面目なエホバの証人2世が
40歳を目前にエホバの証人を辞めて
世の人デビューするもトホホなことばかりで
愚痴ったり思い出ばなしをしたり
という……日記ブログです。


小学1年生の時は、学校行事に参加できない時や大会のために学校を休む時は、親が連絡帳に長々とお願いの文章を書いてくれていたが、小学2年生の夏に伝道者になってからは、自分で直接申し出るようになった。

小学2年生の時の担任の先生は、エホバの証人の子供を担任した経験が多く、信者の親に対して疑問を率直に投げかけることで知られていた先生だった。

学級委員の選挙に参加できない。
七夕の全校集会に参加できない。
運動会の盆踊りに参加できない。
国旗掲揚、国歌斉唱、校歌斉唱ができない。
いただきますの合掌ができない。・・・。

クラス全員の前で、職員室で、私の申し出を聞く先生はいつも穏やかに、
「それが貴女の本当の願いですか?」と聞いた。
もちろん「はい。」としか答えようがないのだけど、決まってそのやり取りをした。

そもそも選択肢なんてないのだ。
生活すべてにおいて。

おはようからおやすみまで、周りと同じ事をしてはいけないことが張り巡らされていて、親が見ていなくても神様が見ていて、
できたか、できなかったか、自分の心でジャッジして、できなかった時には懲らしめを受けるルール。そうすればできなかったことは許される。

自分の良心のため。
自分の将来(楽園)の命のため。

小さなカードに書き出して手帳に挟んでいた聖句。8歳から38歳までずっと。事ある毎に書き直してずっと。

「自分が信仰にあるかどうかを絶えず試しなさい。自分自身がどんなものであるかを絶えず吟味しなさい」

中学1年生の時、これまでのように親の判断と合わせながらの判断じゃなく、自分の判断で決めたいと思って献身した。
してはいけない事を納得して、しなかった自分。
してはいけない事を納得できずに、した自分。
どちらの時にもこの聖句を当てはめて、自分の判断と行動が自分の決めた「信仰の範囲」から逸脱していないかを確かめた。

自分の信仰の範囲は人それぞれ、神様との個人的な関係で決まると思っていた。

献身後も、親にバレなきゃいいという基準で裏表生活をする姉や同年代の子達を横目で見ていて、自分は、親や会衆の人にどう見られるかより神様にどう見られているかの方が気になることに気づいた。

30代になって、「信仰の範囲」が変わっていることを自覚した。
自分以外の人の信仰も、自分の信仰を尊重してもらう事と同等程度には尊重するべきだと思った。
自分の信じる神様は、「自分以外を神とすることは許さない」なんて言うだろうか。30年日々意識していた神様は絶対そんなことは言わないはずだ、と思った。

30代の終わり「神との個人的な関係」を培った結果、「自分自身がどんなものであるかを絶えず吟味しなさい」の言葉を振り返り、
組織の教える神様の姿と、自分が日々意識していた神様の姿が明らかに違うことに気づいてしまった。
そして、吟味した結果、組織の教える神様は自分に必要ないと判断した。


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エホバの証人2世問題を公にする活動があちこちで見られるようになった時、
長老とか開拓者とか統治体とか、つまりは人間からされたことに怒りを向け、それをした人間に攻撃的な言葉を投げつける人達を見て、
絶対一緒にされたくない!!と強く思った。

個人名をあげたり会衆名をあげて、
その組織の掟を(実直にあるいは歪曲したりして)実践したことへの批判をしている姿は、
自身の信仰の本質を暴露してるように見えた。

信じていなかったことをやらされて、そのせいで苦しみと苦痛を与えられてきた、という怒りは
誰に対する怒りなのか?
やりたくなくてもやらざるを得ないことに屈するしかなかった環境?
選択肢を与えなかった親?
親にそうさせた長老?
教えが絶対だと信じ込ませた組織?

エホバの証人という組織が単なる人間の集まりで、自分たち以外の宗教組織を否定する、個々人の信仰を尊重しない宗教団体だったということを考えれば、
まるでエホバの証人組織と同じような、他者を悪と糾弾するような態度にはならないのではないかと。


エホバの証人2世問題がSNSやメディアに流れるたび、「エホバの証人気質丸出しの自称虐待された2世の発信」のような残念な思いをしないように、できるだけ見ないようにしてきた。

そのようなおり、
自分が、自分の信仰に基づいて組織を辞めるという決断をするのに助けになっていたブログの発信者の方の、リアルの活動を知った。


2世の苦しみと苦痛の現状
その根本にある問題点
これからどうしていきたいのか

怒りや憎しみを団結させるのではなく
現状と問題を整理して解決をめざすための団結

アンケートに答えるだとか、自分の実体験の事実を答えるだとか、そんなことしか出来ないけれど、失われた時間を悔やんだり憎んだりしてさらに時間を失うことがないように、自分の人生を取り戻すことはできるのだと、
動き出してくださったことに、感謝。