昨日は久しぶりにしっかり雨が降りました![]()
さてさて、前回の続きに似てますが、深センの変化についてもうちょっと触れてみたいと思います![]()
DIAMONDonlineより(2017.1.18)
“この30年、深センの周辺はおそらく世界で最も変化した場所ではないだろうか。東京都ほどの広さに人口30万人が住むさびれた漁村だった場所が、わずか30年ほどで人口1400万人を超え、珠江デルタと呼ばれる一帯まで入れると4000万人を超える「世界の工場」エリアとなった。中心部は工場の街から金融とイノベーションの街に変化を遂げつつある。
出稼ぎ労働者や、投資マネーを当てにして一発を狙いに来る起業家を吸収し、まだ人口は増え続けている。1400万都市となった今も、20〜30代が人口の65%を占め、65歳以上の高齢者は全人口の2%しかいない。これだけ「長期間にわたって若者ばかりが住んでいる街」も、おそらく歴史上ないだろう。今やGDPが香港を抜き、中国でもっとも生活費が高い街となった深センに、退職後も住み続ける人は少ない。
中国全土から稼ぎたい若者が押し寄せ、毎年新しい地下鉄の路線が通っている。この2年で深センは6本の地下鉄が開通し、路線図は倍以上になった。→まだ6号線、8号線、10号線開通してないので、正確には去年1年で地下鉄3本開通(倍以上にはこれからなる予定
)
道ばたで果物を売る老人もスマホを手にしていて、決済はすべて電子決済。ぼくは深センでは、他の旅行者と割り勘するときぐらいしか財布を取り出す機会がない。
人々の暮らし向きも急速に変化し続けている。現在、深センで暮らす人たちの祖父の時代、中国は文化大革命期であり、都市部のインテリ青年は農村での肉体労働に下放されていて、深センには本当に何もなかった。それが今、深センでは電化されたバスや電気自動車は珍しくないし、自転車より電気スクーターを見かけるほうが多い。→1月の記事ですが、3月の今は既に電気スクーターを抜いて最近導入されたこのシェア自転車の方がもう多く見かけるかも
目にする自転車は大半がシェア自転車で、スマホでロックが解除できる。クレジットカードやPCでのインターネット、電子メールといったこれまでの発展の歴史をすっ飛ばして、いきなり最新のテクノロジーが普及したことにより、過去のレガシーにいっさい配慮しなくていい発展が街の隅々まで行き渡っている。
深センは中国最初の経済特区だ。この地で成功した経済特区のモデルはその後、中国国内各所に拡大したが、深センほどの劇的な変化は、他の都市では生まれていない。他の経済特区は元々が大都市で、多くの既存の構造や既得権益がある。
レガシーを引きずっていないことは都市のマネジメントを変える。上海は深センよりも豊かな国際都市だが、多くの既得権益や遺産があり、深センほど早くは変化できない。北京に至っては数千年の遺産と人々を抱えている。「バスの支払いは全部電子決済にします」といった変化に、最も早く対応できるのは深センの住民たちだし、「新しいバスを全部電気自動車にしよう」のような取り組みができるのは、その地方に根付いた車の販売会社がない深センならではだ。歴史があり、過去のしがらみがあるところほどアップデートに苦労するのは、日本でも歴史ある企業や銀行のシステム刷新などで見られる通りだ。”
日本の家族や友達には『深センってどこ?』って聞かれるくらい、あまりメジャーなところではないのですが、ここに住んでるわたしにとっては、深センってやっぱり変化が著しく早いと思う特別な場所![]()
広東って商売上手な人達が多く、個人経営も多いし、何より成功してる人達が多くここに残ってるので(もちろんみんながみんなそうではありませんが)、中国経済色々言われていますが、周りを見渡すとここで生き抜くバイタリティーというか力強さみたいなものを個々に強く感じます
あと深セン出身者は家持ちで金持ち![]()
そしてテクノロジーに力を入れている街なので、そういう意味ではまだまだ開発・発展し続けていけるし、もしかして今後今までにない中国独自の新しい技術も生まれてゆくのかもしれません…
そう考えると、おもしろくもありちょっと怖くもあり…まだまだ未知の可能性を秘めた魅惑の都市深セン
あとはモラルとマナーが一般市民に浸透してくれたら…
更に何年か後が、色んな意味で更に良い街になっていてほしいです
DIAMONDonlineには「変化し続ける街 知られざる深セン」特集が載っています
写真がないと寂しいので、少し前の深セン湾公園を
ちょっと前までは海だったところ…
