加古川からは高速で大阪市内を抜け、生駒トンネルをくぐって奈良県へ出た。
奈良県を通る目的は、有名な天理ラーメンの店である『彩花』に行くことであった。
この時点で日はすっかり暮れているが、この店に関しては営業終了時間は心配することはない。
夜の3時までやっているそうだ。
コロナ予防のための時短要請も終わっているので、それはもう関係ないだろう。
様々な大手チェーン店の明るい看板が次々とある奈良盆地内の道路をナビを見ながら走っていると天理市内の目的の彩花ラーメン本店にやってきた。
ここは駐車場も広く、深夜に関西の若者でにぎわうそうだが、案内兼のガードマンんも配備されており、対策はなされているようだ。
店の建物は新しく繁盛している様子がうかがわれる。
店の前には少し人だかりがあったが、順番名簿を書くという形式なので、30分くらいで声がかかった。
こういう時おひとりさまは呼ばれるのが早い。
店の中に入るとまず感じたのは、出元は何かわからないが東南アジアの飲食店でよくある匂いであった。
豚や鶏の脂かニンニクが、あるいはその他の食材か、明らかに食べ気を引き起こす誘導匂が漂っている。
米子のラーメン店の牛骨スープの匂いとは全く違う。
でもこうした匂いはすぐになれる。
メニューは彩花定番ラーメンとそのトッピング各種、そしてタレ味の違うラーメンに少しのご飯ものメニューだ。
要するにラーメン単品の店だ。
注文したのはサイカラーメンの小。
しかし後で大にしておけばよかったと思った。
ラーメン=血糖値の上昇の要因という頭が常にあるため無意識的に小を選んでしまう。
ラーメンの上に別に作った野菜炒めを乗せるこのやり方は関東ではあまり見かけない。
スープが単なる白湯ならこれはタンメンと呼ばれている。
大阪で成功した『神座』もこの形式である。
とうがらしの辛味とニンニクの臭み、それに鶏スープ。味付けは色に透明感があるので、これは関西風の薄口醤油だろう。
要するにそこら辺のおいしさがごっちゃになった感じがしている。
もちろん基本は辛く、ニンニク臭い。
別にこれのことをスタミナラーメンと呼ばれている。
関東の中華店でもメニューの一つとして真似をしているところもある。
思い出した。
浦和には伝説のスタミナラーメンの店『娘々(ニャンニャン)』があった。
この店も埼玉におけるラーメンの元祖だ。
40年位前によく行ったが、最近は本体は解散したそうだ。
でもこの彩花のほうがずっとコクや旨味が深し、味付けもすごく濃い。
いわゆる過激な中毒性のある味だ。
白菜が多く使われているのが、すごいと思ったのが、この白菜の新鮮さにシャキシャキ感。
根元の白いところはあまり好きではないが、この部分の歯切れの良さにはむしろ快感を覚える。
周りが静かならしゃきっとした「音が聞こえるだろう。
しなちくはもともと好きなので別注で注文したのかもしれない。
良く味のしみ込んだしなちくだった。
創業は昭和43年か。
1968年は団塊の世代の若者の数も多く、学生運動が盛り上がり、グループサウンズも全盛の年だ。
だがラーメンに関してまだブームではないし、グルメ自体もまだそれを楽しむ余裕などもなかった。
当時としてはこのラーメンはかなり変わったラーメンになる。
それが次第に関西の若者の支持を得て、全国有名ラーメン店へと発展した。
昨年オープンした渋谷横町ミヤシタパークの中にも彩花ラーメンを出す店があり、ここに食べに行ったこともある。
だから東京でも食べれないことはない。