長野県から富山県へ 米騒動の場所 | 全国のスーパーで買うご当地食品を探しに(Seeking for the local food products in Japan)

全国のスーパーで買うご当地食品を探しに(Seeking for the local food products in Japan)

食品スーパーが好きな私は、その土地でしか売られていないものを見つける旅に最近車でよく出かけています。現在住んでいる首都圏のスーパーでは見かけられないものを、各地のスーパーの売り場でご当地食品見つけたいと思います。

国道18号線は横川のおぎのやドライブインを出た後、碓氷峠を上る。

 

 

県境の分水嶺を過ぎた後すぐに右側に数年前に起きたバス横転事故の現場を通るが、墓標などはたっていない。

 

 

今冬の暖冬で浅間山にはあまり雪がない。

 

 

途中小諸のマンズワインの工場により、ナイアガラ白ワインを買った。

 

 

 

 

数あるワインの中でこれが一番飲み口がよいように思う。

 

 

過去にもこのブログで記事にしている。

 

 

店員からこのワインはここではなく、山梨県勝山にある工場で作っていると聞いて何か拍子抜けした。

 

 

長野市からは国道404号線を通り、そばの名所である戸隠で食べていこうと思ったが、予想以上に道が古く、周りには人の住んでいる気配はなかった。

 

 

後で調べてみると戸隠神社、戸隠スキー場はもっと北の方角へ行ったところだったことが分かった。

 

 

分水嶺の鬼無里村の峠も全く雪がない。

 

 

もう暗くなっていたが、すぐ正面の八方尾根スキー場も下のほうはスキー不可だろう。

 

 

白馬の町にも人影がない。

 

 

今夜の宿泊地は新潟県に入って親不知の道の駅と考えていた。

 

 

北アルプスが直接日本海に落ちるところである。

 

 

しかしここは海岸線のがけ下にあり、上には高速道が橋げたの上を通ており、爆走するトラックの音がうるさい。

 

 

耳栓をして寝た。

 

 

翌日には富山県を通るので、一つ行ってみたいところがあった。

 

 

それは魚津市にある『米騒動発祥の地』。

 

 

そこは魚津港近くの海岸沿いの道路のわきにあった。

 

 

 

 

第一次世界大戦中の好景気やシベリア出兵などで、米の買い占めが起こり、値段が暴騰し、これに抗議する魚津漁民の主婦たちが積み出し阻止のため押し掛けたのがこの場所だった。

 

 

 

 

これは成功した。

 

 

そのことを『富山日報』『北陸タイムス』などの地元紙が代々的報道し、富山県内にも抗議運動が広がり、ついには『大阪朝日新聞』などの全国紙ににも掲載されると多くの道府県(東京都はまだない。東京府である。)でも同様の動きが起こった。

 

 

この結果軍人出身の寺内正樹内閣は総辞職し、薩長土肥の藩閥ではなく、立憲政友会という政党出身の原敬が総理大臣になった。

 

 

また原敬は爵位を辞退していたので『平民宰相』とも呼ばれた。

 

 

議会政治は一段階進歩し、その後に各種の民主主義を目指す改革などもあり、いわゆる大正デモクラシーが始まった。

 

 

また国際的にも日本は国際連盟の常任理事国になり、西太平洋全域に勢力範囲を広げ、世界の大国の一つとなった。

 

 

このあと十年間は絶頂期といってよい。

 

 

しかしそれも1929年以来の世界恐慌や1931年の満州事変などで世界の不信を買い、結局は米英中との戦争の道を歩むことになる。

 

 

正直魚津米騒動自体はそれほど大きな出来事ではなかったが、それがマスコミで報道されたこと、そして全国に波及したこと、さらに結果として日本の議会政治、民主政治の発展を促したことなどで学校の歴史教科書にも記載されるほどのインパクトを残した。

 

 

 

 

事件現場となった十二銀行はそのままの状態で保存されていた。

 

 

記念館などはなかった。

 

 

かなりの拍子抜けである。

 

 

しかしこれが銀行の魚津支店だったことには驚く。

 

 

今の銀行のイメージなどは全くない。

 

 

金貸し商人の館よりなおみすぼらしい。

 

 

最も昭和30年代くらいまでは大部分の人はこうした家に住んでいたが。

 

 

 

 

この付近から見た立山連峰にも同様に頂上付近しか雪がない。

 

 

12月20日のこの時点でも暖冬の気配は濃厚であった。

 

 

しかし冬の日本海側特有の重たい雲が立ち込めているのには変わりはない。