海岸道路をひたすら歩いた後、もうさびしくなった所あたりから
旧市街地のほうへもどった。
この町はきれいである。
町並みも整っており、雑然とした感じはない。
車道や歩道もよく整備され、石畳もきちんとしている。
危なそうな気配も全くしない。
そして気が付くことが二つあった。
まず犬を連れている人が多い。
ヨーロッパで犬は日本より多いし、また型も大きい。
多少の放し飼いはよいみたいだ。
次にジョギングをしている人とよくすれ違う。
ここは田舎だから、都会のマドリッドあたりとはちょっと環境が違うのかもしれない。
旧市街地へ帰ろうと歩道を歩いているとデモ隊に出くわした。
何のデモだろう。
バスク地方は古代より政治闘争の伝統がある。
それはバスク人そのものの由来が、今の西洋人の大半であるインドヨーロッパ語族、あるいは古代ローマ人(ラテン人)、ゲルマン人ではないからである。
出自は不鮮明だが、古い時代からのこの地の先住人だからである。
ローマ、イスラム、フランス、スペインなどとの政治軍事闘争を経て、自身のアイデンティティーを現代までキープしたまれな民族である。
スペインへの帰属が最終的に定まったのは19世紀の後半であった。
1930年代のスペイン内乱は過酷で、バスクもその流れの中に押し込まれ、左右の対立の中で勝利したフランコ将軍の支配の中に入った。
そこでバスク人のアイデンティティは取り上げられ、バスク語は禁止された。
スペインにはもう一つそのような地域がある。
それはバルセロナのあるカタロニアである。
ここは現在独立運動が盛んで今もって今後の推移は不透明である。
バスクといえば自分は1960年代から盛んになった『ETA祖国と自由』によるテロ活動で、スぺインにこういうところがあるのだと知った。
800人の犠牲者を出したというが、現在では組織の解散が宣言され、事実上終結している。
独立は無理だろう。
カタロニアには人口と経済力があるが、バスクにはそれがない。
そういえばビルバオの鉄鉱石の産出は最近はどうなっただろう。
あまり聞かなくなった。
このデモ隊が表現したいことはなんだろう。
ここでも日本と同様に年寄りが多い。
バスクの独立かそうでなければ更なる自治権拡大の要求か。
それとも政治とは関係のないものか。
字が読めればわかるのだが、それはできない。
香港の若者のデモと違って、人数も少ないし余り勢いのないものに見えた。
ここの向こうは県議会議事堂があった。
きれいに電飾されている。
前の公園から見えるこの電気の色は美しかった。
そういえばサンセバスチャンは映画祭や音楽祭などもあり、芸術の街でもあった。
またベレー帽はもともとはバスクの発祥らしい。
町の帽子店のショウウインドーにはバスクベレー帽も含めておいてあった。
しかしその割にはかぶっている人を見かけない。