この55日間にわたる今回のツアーをどうこのブログにまとめているかということについては、当初より相当悩んでいた。
それはまとめるにもその一定したテーマ、材料に事欠くからだ。
その理由としてはまず、
・オーストラリア、ニュージーランドというところが自分にとってはたい
したところではなかった。
・それ以外の所は行ったところも多く、過去のブログですでに記事にしている。
・ピースボートももう3回目なので船内のことについては前にもすでに書いているし、その新鮮さにかける。
この3点であるが、要するに記事に耐えられるだけの強い印象なりインパクトがなかったということである。
従ってなかなかブログ連載記事の良いアイデアが出てこない。
実はどうしようか今でも悩んでいる。
せっかく行ったのでもったいないから、気持ちとしては何らかの記録は残したいということか。
でも何をどうまとめてよいかそれがなかなか分からない。
日記的な時系列とかではなく、特に強い印象に残ったものを中心に取り上げるしかないのだろうか。
ということで印象に残ったことを個別、断片的に取り上げることにした
まずは最初の印象として、冬型の気圧配置の際の太平洋は結構荒れているということである。
これは私自身が気象に興味があるということから出てくるものである。
1月9日は寒かった今年の冬に、最初の寒波が到来した日であった。
大陸の高気圧から吹き出す北西の季節風が、日本海で水蒸気を吸い上げ、日本海側の地方に雪をもたらす。
それはよく知られたことであるが、この風が列島を抜け太平洋に入った時にはどうなっているかはあまり天気予報などでも解説されたことがない。
これはすでに過ぎ去ったものであるからだ。
冬型の気圧配置の際の衛星写真を見ると、風が日本列島を抜けた瞬間から太平洋にも筋状の雲がたっている。
まだ寒気があるのだ。
おまけに日本近海の太平洋は黒潮の影響で暖かい。
その下の海の模様はどうなっているのだろうか。
ピースボートは9日の夕刻に神戸港を出港した後、夜半には紀伊水道を抜けて太平洋に出たものと思われる。
その夜はあまり揺れは少ししか感じられなかった。
しかし横浜から来た人が言うには、前夜はものすごい揺れだったと言っていた。
これは1月8日の東京都伊豆大島、和歌山県潮岬などの観測情報を調べると、北東の強風と100ミリに達する豪雨に見舞われている。
要するに急速に発達した爆弾低気圧により、台風並みの暴風雨の中の東海地方南岸を進んできたようである。
これではいくら3万トンとはいえ、大揺れになるのは当たり前である。
並みの船なら出港停止、あるいは近くの港への避難級のものである。
しかし神戸を出港するころにはこの荒れた天候は収まったようである。
1月10日朝、船は雲でかすんだ中から、鹿児島県大隅半島が見えるところにまで達していた。
北寄りの風は吹いているが、振れはそんなにない。
海岸線よりからもそう遠くはない。
目測で10キロくらいの沖を航行中か。
ここは冬の季節風の吹付具合から見れば風裏にあたるのだ。
しかし上空は雲が立ち込めている。
これが太平洋へ抜けた筋雲の下かなどと思っていた。
ところがその日の午後より東シナ海に入ったころより様子は変わった。
振れが出てきたのだ。
どんよりとした低く垂れこめた雲と吹き付ける北風。
波も高い。目測で3,4メートルはある。
しかしこの地点は季節風の発生する大陸よりはすでに500キロくらいは離れている。
台風や低気圧などの並みの発生源がなくても、恒常的に吹く風だけでも波がそのうち大波に成長性していくということか。
船はこの揺れにそのあと5日間くらい、すなわち台湾を出て、フィリピン近海に来るまで悩まされ続けた。
このため船酔いを訴える人は多かった。
しかし私自身は別に船酔いはしなかった。
長年釣り船に乗って鍛えたてきた成果がここに出ている。
これくらいの揺れなどたいしたことないのだ。
逆に心地よい揺れだと思った。
歩いたり、階段を上るときなどは多少しんどいが。
そして念のため用意していたエスエス製薬の『アネロン』(値段は多少高いが、眠気などの副作用がない)を飲んだ。
ここでわかったことは、冬型の気圧配置の時に太平洋側の陸地は晴れているのに北太平洋は天気が悪く、風による波、うねりはあるということだった。