宿泊予定のホテルはブダペストの中心街であるアンドラーシ通りとエリザベート通りが交わっている付近にあった。
全くの繁華街である。
ホテルはこの付近の横道にあった。
ここからほんの少し歩くと市電の通るアンドラーシ通りに出てくる。
東京で言えば銀座通り、大阪では御堂筋にあたるところだ。
ネオゴシック様式と思われる古いビルが並ぶ。
これこそヨーロッパではどこでも見られる一般的な都市中心街の風景である。
私が今まで行った中でも、西はスペインのバルセロナから東はウクライナのオデッサまで普通の町の風景はすべてこれである。
直線的に並ぶ4,5階建ての古さを感じるビル街。
日本の各都市のような現代的な建築様式のオフィースビル街はない。
しかしこれは古くは見えるが、500年前の中世とかルネサンス期とかそんなものではない。
多分19世紀後半から20世紀ににかけて建てられたものである。
パリでさえ今の形に整ったのは、ナポレオンやナポレオン3世の時代であった。
石造りだから持ちがよく、そのまま残っているわけである。
中世の町などイタリアか、あるいは田舎に行かないとなかなかお目にかからない。
100年あるいは150年前のものなら、今の我々が見れば間違いなく古さと伝統を感じる。
日本でも大正ロマンとか昭和戦前と聞けば、何となくオールドでロマンチックな香りを感じる。
いや最近ではそればかりか昭和30年代でさえそうである。
広い歩道には街路樹が紅葉し、すでに落葉となって秋の気配を十分に感じる。
この木は何だろう。
日本のような欅ではない。
欅という漢字はなかなか書けないが、調べてみたらこの木があるのは日本だけだそうだ。
ではパリなどに多いマロニエか。
道路もよく清掃されており、落ち葉を集める市の職員の清掃車もよく見た。
雨が降れば、落ち葉が歩道にべったりとくっついて来る。
この光景はこのアンドラーシ通り周辺ではどこに行ってもそうだ。
パリの街の風景とほとんど同じ。
思わずシャンソンの『枯れ葉よ』のメロディーが頭をよぎる。
歩道は安全を考えたのか、でこぼこのある石畳ではない。
こんなロマンチックが感じられる市街地はどこまでも歩きたくなる。
次々と出てくる新しい街の光景には全く飽きがこない。
ヨーロッパの街はどこでもそうだが、電柱がなく、また看板も控え気味で景色を邪魔するものがない。
またあの忌々しい壁へのスプレーでの落書きもここではない。
落ち着いたその佇まいには心をいやすものがある。
この通りにはハンガリー国立歌劇場(オペラハウス)が立っている。
この劇場の初代の音楽監督はあのグスタフ・マーラーであった。
多分中はヨーロッパ音楽劇場の特徴である平面階の客席の周囲には、垂直のボックス席が半円形に立っているあの様子だろう。
リストやバルトーク、コダイなどハンガリー出身の音楽家たちもここで指揮、公演をしたのだろうか。
またピアニストのリリークラウスやゲオルグ・ショルティはどうだったのだろう。
ショルティ―に関しては、ここで1930年代にデビューしたという記録がある。
今現在はここでバレーが上演されているようだった。
ヨーロッパの晩秋は日の沈みが早い。
ここは緯度的には北海道の稚内よりさらに北。樺太南部に相当する位置にある。
秋晴れの空の色のグラデーションに支えられて、街灯が灯るとそれはそれでフランスやイタリアの映画によく出てくる恋人たちの歩く歩道の風景になる。
そうした道をの上を、私は別に行くあてもないが、まだ時間も早いのでぶらぶらと歩きまくった。
時折、コンビニに立ち寄ったり、レストランの看板メニューを見たりした。
明日は観光地だ。







