たまたまだが2階で東日本大震災のいわき市における被害状況などの写真、資料等の展示会を行っていた。
かつては日本一面積の広い市として知られていた。
太平洋に丸ごと面しているこの町にも、例外にもれず大地震と大津波が襲った。
誰が撮影したのかビデオにうつされた津波に何もかにもが流される光景は他と同じであった。
いわき市当局や警察、消防などがまとめた被害状況の詳細。
これを見て驚いた。
何といわき市だけで441名の犠牲者が出たことだ。
また7000の全壊家屋と大小を含め約90000にも及ぶ被災家屋。
いわき市の人口は約33万人だから、計算すればほぼすべてと言ってよいくらいの家屋に被害が出たことになる。
いわき市の場合は大震災から1か月後の4月11日にも再び余震と思われる震度6のおおきな地震がその後も含め2回ほど襲った。
紫色に着色されているところが津波のあがった場所である。
海岸線から長くて2キロ程度と思われる。
このあたりは海の水が凝縮、集中するリアス式海岸部と違って、海に向かってあけっぴろげな地形なのでその分だけ津波の勢いは弱い。
市の人口が多い、平地区や有名な常磐ハワイアンセンター(スパリゾートハワイアンズ)はともに海岸線より10キロ程度奥地にある。
小名浜港でも津波の高さは7メートルくらいだったらしい。
このいわき・ら・ら・ミュウ観光物産館は1階は全滅したが、2階まではとどかなかったらしい。
この施設はその後8か月後に修理完成し、営業を再開している。
そして展示してある各種の資料によれば、これは本震と津波、余震を含めてすべてのものだが、それにしても被害が甚大だったことに驚いた。
正直初めて知った。
というのはテレビや新聞などの報道では、津波被害の中心であった宮城県や岩手県のことはよくやっていた。
それと福島県の被害といえば何と言っても福島第1原子力発電所に関すること。
いわき市はその現場のわずかに南側にあたる。
当時の風の関係によって、放射能被害からは免れた。
もし真北からの風であったら放射能は確実にいわき市にやってきた。
テレビなどでいわき市の震災被害についてはほとんど聞いた記憶がない。
東北の沿岸部や原子力発電所のことがあまりにも大きかったから、その陰に隠れてしまったという形になってしまった。
震災後市内にはあちこちに避難所が開設された。
市内127か所、19813人の避難だから、公共施設はほぼすべて避難所になったと言ってよい。
このいわき市の避難所の様子もあまり報道されていない。
福島の地方テレビ局は報道するだろうが、東京のキー局のものではほとんど記憶にない。
いわき市は今でも原発事故による立ち入り禁止区域の住民の避難所になっているという。
また全国から救援に駆け付けた救助活動を伝える写真もあった。
いわき市に入ったのは陸上自衛隊第8普通科連隊。
鳥取県米子市の三柳駐屯地からではないか。
私の故郷にずっと昔から駐屯していた部隊であるが、いわき市に入ったここで初めて知った。
警察や消防なども九州など主に西日本からのものが多かった。
このパソコンで打つのが何となくわずらわしい『いわき・ら・ら・ミュウ』、1階の海産物売り場より、2階の震災展示会場のほうが何となく関心がわいた。