歩くこと15分でドーモに到着した。
ドーモはフィレンツェの数ある象徴のひとつ。夏
の観光シーズンなので観光客の数も多い。
周囲の建物は現代離れしており、極めて重厚なたたずまいだ。
それもそのはず、このドーモを含む「聖母教会」の建築が始められたのは、1296年だ。
日本では鎌倉時代後期。元寇の20年ほど後のことだ。
今から700年前か。
日本にも古い時代の建造物は残っている。
約600年前の銀閣寺。1000年前の宇治平等院鳳凰堂。
さらには1400年前の世界最古の木造建築である法隆寺など。
ただしイタリアが凄いのはその建物だけでなく、付近の建物というか、町全体がそのまま残っているということである。
今回は行っていないが、前にベネチアに行ったときにサンマルコ寺院へ行った。
その時,内部に500年前のルネサンスの時代に教会の塔の上から見たベネチアの風景を写した絵が掲げらていた。
その絵に描かれている街並みと、現在自分がこの目で見る街並みがあまり変わらないことに戦慄を覚えた。
多分フィレンツェのドーモ周辺も、500年前とあまり変わらないだろう。
ドーモのてっぺんを望遠レンズでとってみた。
人気(ひとけ)があるのがわかる。
そういえば1989年に行ったときには、そのてっぺん(テラス)まで登った。
ドーモの半球形の屋根の内部に階段があった。
それは螺旋階段になっていた。
屋根裏をぐるぐる回りながら上に登っていく。
しかし行けども行けども上には出ない。
これは無間地獄ならぬ無限階段かと思い、途中で不安になってきた。
しかし段々と幅が狭くなり横の傾きが急になり、天井が自分の頭の上にせり出してくるのがわかった。
展望台からは周囲に平たく続くフィレンツェの町が一望できた。
あくまでも古い。広い空間が一気に中世ルネサンスの雰囲気に包みこまれる。
周辺には緑のある丘の連なりが見える。
500年前の姿がよくうかがわれる。
この時に移したと思われる写真を探したが、出てこない。
写していないだろうか。
今のデジカメと違って、気軽に何枚も写真を写せる時代ではなかった。
写せば現像が有料だったからだ。
ドーモに併設するジョットの鐘楼。
これも古い。
建造開始は1334年というから日本ではちょうど鎌倉幕府の滅亡と建武の新政の時期だ。
ここも414段の階段で上部テラスまで登れるそうだ。
今回はこの周辺は眺めるだけで、軽くパスをしてフィレンツェの政治の中心であるシニョリーア広場へと向かった。
ここは15世紀末にあった『虚飾の焼却』が行われた。
清貧を求め、人間個人の欲望から出てきた産物を排除するいわゆる文化弾圧である。
これは中国の秦始皇帝による焚書坑儒、毛沢東によるプロレタリア文化大革命などがあった。
日本では江戸時代の松平定信による寛政の改革における贅沢や退廃文化の禁止と同じだ。
その主導者である神父サボナローラは2年後にここで火あぶりの刑に処せられた。
『虚飾の焼却』とは響きのよい名称だ。
西洋史にはこのほか『カノッサの屈辱』とか『セントバーソロニュー祭の夜の虐殺』、『テニスコートの誓い』、『教皇のバビロン捕囚』、『バラ戦争』、『ボストン茶会事件』、『テルミドールの反動』、『ブリュメール18日のクーデター』、などあれ何だろうとか思わせるような多少オーバーなメーミングだが、しかし何となく心にひっかかるというか美しいものが多い。
ここで有名なものはもちろんミケランジェロ作の『ダビデ像』。
ダビデ像は日本人なら誰でも知っている。
何故なら歴史の教科書にその全体像の写真が載っているからだ。
学校で見る男性の100パーセント裸体像に衝撃を受けた人も多いだろう。
そういえば女性の同様なものには、『ミロのビーナス』だった。
ドラクロアの絵画、『民衆を率いる自由の女神』も多少そうした傾向がある。
ダビデ像の強そうな肉体と鋭い目つきは、フィレンツェの独立を象徴しているというキャプション(コメント)がついている。
でも大抵の人の目はは人体の別の所に向くだろう。
拡大写真も撮ったが、ここでは載せない。
モザイク処理の必要だあるかもしれない。
でも上の写真くらいなら大丈夫だろう。
しかしここにおいてあるのはレプリカで本物はアカデミア美術館にあるそうだ。
気が付いたことだが、この像は首から下はよいが、頭の部分が少し大きすぎないか。
現代西洋人の実像や男性モデルのスタイル基準から見れば、もう少し小さいほうが良いような気がするが。
実は一番行きたかったところはここではない。
それはウフィッツ美術館である。
ボッティチェリの『春』と『ビーナスの誕生』が見たい。