真珠湾には計6時間くらいいたが、訪問客のほとんどはアメリカ人観光客である。
日本人は他の場所と比べれば見かけない。
ハナウマ湾とは大違いであった。
ピースボートのバスツアー客とすれ違った以外はまったくいなかった。
個人での見学客もいない。
真珠湾はハワイのガイドブックを見ても『地球の歩き方』以外はほとんど紹介されていない。
またパックツアーの観光コースにも入っていないものが多い。
そういえば2,30年前には必ず入っていた。
日本人にとってはここはもう風化したと言えるか。
学校では教えているだろうが、それでも太平洋戦争の初の戦場となった真珠湾を知っている人が少なくなってきたとも言える。
それに対しアメリカ人はまだそうでもないみたいだ。
潜水艦バイフィン号の展示場所にも行った。
潜水艦に備え付けられている艦砲を操るアメリカ人家族。
米軍人の家族かもしれない。
戦艦ミズーリ艦上での若い人たち。
アメリカ人にとって軍隊や武器は国防と愛国の象徴であり、それこそ尊ぶべきものである。
平和を破壊するものだなどという発想は全くない。
日本人と違い軍備に対するアレルギーなど少なく、戦争への敷居も低い。
今までアメリカという国家や自分の家族の平和な生活を守ってきたものだという考えが強い。
彼らはこのミズーリを見てこれがアメリカを守ったと心から思うだろう。
しかし核兵器と同じでもう使われない方がよいと思っていることも同時に言える。
彼らが真珠湾に来る目的は何か。
それは真珠湾での事実を知るためと3000人にも及ぶ戦死者、犠牲者への慰霊だろう。
実際に施設行かないと慰霊にはならないし、真珠湾攻撃の詳細は聞かないとわからない。
多分ここでは日本の攻撃はだまし討ちであったとか極悪非道のものであったとかはどうでもよいこと。
いつ何時何分に爆撃機が来て、どこを攻撃されたか、そして被害がどうだったか。
そしてその後どうしたかということが重要だろう。
ちなみに日本でも広島、長崎に多くの観光客が訪れる。
その目的も原爆犠牲者への慰霊と原爆の実体と被害状況を知るためだろう。
これがアメリカの原爆投下は一般市民を大量に虐殺した人道主義に反する犯罪行為だなどという説明がったとしても、そんなことは聞きたくはないはずだ。
もうすでに歴史となったことである。
1991年12月7日にはこの真珠湾において日米の生き残りの参加者がつどい50周年記念の盛大な慰霊祭がおこなわれた。
ここで互いに握手を交わし、参加者の間では手打ちはすんでいる。
日本ではもう風化した感のある真珠湾攻撃。
私はこの時の真実をさらに深く理解して、この場を去った。
そしてバスで今度はまだ行っていないハワイの最大の観光スポットワイキキ海岸へと向かった。
しかしここで悲劇的なことが起こった。
デジカメの電池切れだ。
真珠湾でとりすぎたからだ。
そこでスマホに切り替えた。
しかしそのスマホはあとでドバイのホテルで水没させ、データを失ったしまった。
この写真しか残っていない。
この場所はいろいろと注目されるだけあって、やはり美しい。
時刻もすでに夕方となり、船の門限もせまったので、ここで切り上げバスで船に戻った。
付け足しだが船は暗くなってからホノルル港を出港した。
沖合から見たワイキキの夜景はとりわけ美しかった。
カメラで夜景は固定しない限り撮れないと思っていたので写真はない。
しかし後で手ぶれ補正付きのデジカメではある程度流れずに写るということがわかった。
さてこれからまた中米のサンサルバドルまでほぼ10日間の長い船旅に入る。