緑の色をしたチームの帽子をプレゼントされたのは良かった。
昼食は弁当だった。
チキンと米の弁当は日本のどこかの弁当屋で売っているものみたいで、全く違和感のないものであった。
東南アジアでもよく見かける。
入れ物もほか弁にそっくり。
その後は市内のカトリック教会や城跡などの見学だったが、この手のものはもうヨーロッパでたくさん見てきたし、スペインの縮小版というか簡易版という感じしかしなかった。
ドミニカには500年前のスペイン人の来航以来、スペイン、フランス、アメリカ、はたまたドイツなどが関係した複雑な歴史があるようだ。
中南米はどこでもそうだが、かつてはヨーロッパの植民地であり、アフリカからの黒人奴隷の輸入先であった。
現地人であるインディオ、黒人、スペイン系の白人の混血(ムラード、メスティソ)が多い。
だがその構成比率は国によって違う。
この島の西側の四分の一くらいはハイチであるが、そこはフランスの植民地であった。
言葉は今もフランス語である。
観光バスは町の小さな路地にも入ったが、そこは何故かフィリピンのマニラやセブの町中の景色と非常によく似ていた。
ごちゃごちゃした通りに建てられているコンクリートの四角の家、その前にいすを出してぼんやりと通り過ぎる人々を眺めている老人。
肉の焼き物が売られている屋台などほとんど雰囲気は変わらない。
ゴミやものの置き場、壊れたものなども多い。
違うところは看板がフィリピンでは英語だが、ここではスペイン語だという点だけである。
また道ばたの大きな木の枝や葉が垂れ下がり、バスの天井に当たることなども同じだ。
フィリピンもアメリカの前はスペインの植民地だったが、そういう点で似てきたのかなと思った。
さてドミニカ共和国といえば野球が国技である。
数々のアメリカ大リーグに選手を送っている。
最近のホームランキング、サミーソーサが代表格である。
現在、現役で活躍する選手も非常に多い。
2013年のワールドベースボールクラシックでは日本の三連覇を阻み優勝したのがドミニカ共和国であった。
少年の夢は野球で大リーグを目指し、大金持ちになること。
それが一番である。
町の公園などでは野球をする多くの少年の姿が見られた。
ということで野球関係の施設を二つ見学した。
まずはドミニカの英雄、サミーソーサの生まれた家。
博物館も隣接していた。
小さかったのであまり印象にはない。
次は日本の広島カープが運営する選手養成のための施設である『カープアカデミー』であった。
郊外の切り開いた森の中に作られていた。
日本にはどこにでもある養成所、訓練センターと変わらない普通の施設であった。
カープのユニフォームを着て、練習しているので何か懐かしい感じがした。
ここでも選手たちは大人しかった。あまりしゃべらない。
これでドミニカは終わった。
次はコロンビアかな。