バージュハリファはドバイモールに隣接しており、ドバイモールが連絡口となっている。
バージュハリファに昇る前後はこの中でいろいろと見学を行った。
これが入り口であるが、この中には世界のブランド店がひしめいている。
またフードコート、映画館、水族館、スケートリンク、またキッズニアまである。
入場階は三階だが入るとすぐ、中国語での歓迎垂れ幕があった。
そういえば中国では今は春節で一週間くらいは休みのはず。
中国からの観光客がきているのだろう。
またこのあたりは電器店が多く、やはりここでも一番目立つのは韓国のサムスンであった。
ソニー、パナソニック、東芝も負けてはいない。
その他キャノンなどのカメラメーカー。
この通りに向かって少しいくと、本屋の紀伊国屋があった。
ここに入ってみた。入って見たところ最初にあったのが英語の書籍。
そして店内を行けども行けどもおいてあるのは英語の本ばかり。
ここは相当広い。
日本のショッピングモール内の本やなんていうものではない。
売り場の総面積は池袋のJUNK堂に値する。
日本の本屋なのに日本語書籍が見つからない。
奥の奥に行ってやっとあった。
日本と同じ文庫本、新書本、月刊誌、アラブ関係の本、経済ビジネス関係などおいてあるものはほとんど同じである。
しかし違うのがただひとつ。
値段はほぼ日本の倍くらい。
『地球の歩き方』も3500円位する。
売り場面積に対する各国語の比率は英語約80パーセント、アラビア語10パーセント、日本語をふくむその他の外国語10パーセント。
これは何を意味しているか。
それはこの国では英語が広く使用されているばかりか、学校教育も英語で行われているということである。
そうでなければ単語の難しい英語の本など読めるわけがない。
何人かの小学校低学年の子供たちが児童書みたいなものを立ち読みしていたが、よく見るとそれは英語で書かれたものであった。
このドバイに着いたときから気づいたが、ドバイ見かけるのはアラブ人だけではない。
ガイドブックによればドバイ国籍人は20パーセントくらいだそうである。
アラブ人は元々が白人で、女性には金髪の人もいる。
染めているかどうかはわからないが。
また太い眉毛と大きな目、濃厚な顔立ちで美人が多い。
その他に特に目立つのが南アジア系。
すなわちインド、パキスタン、バングラディシュ、スリランカなど肌の色と顔立ちの微妙な違いでわかる。
ガイドブックではこれらの人々が50パーセント。
経済の発展に伴う各種の労働者としての移民、あるいは出稼ぎであろう。
また東南アジア系。
同じイスラム教のマレーシア、インドネシア。
多分メイドとしてきているフィリピン、タイの女性。
あるいは中華系。これは多分東南アジアの華僑。
私もどこかでタイ人かと言われた。
また欧米系のホワイトカラー会社駐在員、旅行者など。
要するに南アジアを中心に世界各国から人が集まっているということである。
では日本人はどうか。
私はこの人は日本人だとはっきりと認識できたのは、わずか二人だった。
一人はこの本屋で日本語書籍を立ち読みしていた人。
もう一人は地下鉄の駅での母親と子供二人。
子供が日本語をしゃべっているのでわかった。
観光客はほとんど見あたらない。
東アジア系でいたとしてもそれは中国人だ。
地下鉄の車内ではインド系を中心とした人が多い。
下町ではアラブ、インド系の男ばかり。
しかしこのショッピングセンターとなるとアラブ人女性も多くなる。
おもしろいことにその服装は様々。
普通の服の人、スカーフを頭に巻いている人。
そしてイスラムの女性の衣装である黒服(ハバラ、チャドル)。
はっきり言ってばらばら。
中には中年男性が一人にハバラ服女性が二人、そしてその子供と思われるものが計5人、全部で8人一緒にいた。
わかった。それは第一夫人と第二夫人、それにその子供たちだ。
また普通の服の若い男とハバラ服の女性が手をつないで歩いていたりしていた。
本来はこれはイスラムのしきたりではダメなのだが。
もちろん白い服と頭にはちまきのようなものをのせる民族服の男性も多い。
喫茶店でハバラ服でさかんに携帯電話を操作している女性がいた。
この時私は実感した。
近代化したドバイではこのハバラ服は一種のファッションではないかと。
左側の女性はものを口にふくむときいちいち覆いを上げなければならないので、面倒くさそうであった。
雰囲気としてこの国は中東のシンガポール。
近代化、多種多様な民族、英語の使用など共通する点は多い。
最後に中にあるスーパーで台所用品の販売をしている中華系の営業員がいた。
説明している言葉は英語であった。
またいろいろなところで通行人や店員に道を聞いたりしたが、英語のわからない人は一人もいなかった。