余談です

 

本日ラジオを聴いていて、ハッと気が付きました

 

日本人の幸せの価値観は、一般的に平たく言うと

 

自分の置かれている立場に満足できている事

 

つまり、視界を自分に向けた中で

 

その状態が良い場合に幸せを感じる

 

逆に欧米人の場合は他人の役に立っている自分の存在を幸せと感じるという事

 

つまり、いったん視界を外に向けて、戻ってきた状態が良い場合に幸せを感じる

 

それは逆転の発想のようで

 

非常に意外でした

 

全体主義の日本人と個人主義と思われる欧米人

 

 

 

日本人は外との繋がりで幸せを感じると思い込んでいました

 

そういえば、思い当たる節が大いにあります

 

ボランティアに熱心な欧米人

 

(一概には言えませんが)

 

ボランティアには、まだまだ違和感のある日本人

 

外に向くという事

 

他人が不幸せなら、自分が幸せであろうはずが無いという当然の感覚と思っていましたが

 

いつも、理解いただけずに不思議に思っていました

 

基本的なマナーさえ守れば、自分たちが幸せなら、他人がどうあれ幸せに違いはない

 

という思想(既に発想では無く基本的な思想の様です)

 

 

常日頃、私は人よりも犬に近いから、発想がおかしいのかとも思っていました

 

そうでは無く、実をいうと、子供の頃から洋画にどっぷりだったせいで

 

思想的にアメリカンだったのかもしれませんが…

 

でも、祖父の代から、そんな家系の様です

 

 

自分では正しいと思っていましたが

 

愛犬、愛猫の気持ちとして、他の仲間が大量に殺処分されていて幸せなはずがない

 

と思っています(自分では感じています)

 

それが人だったとしても、もちろん同じです

 

 

でも、平均的な日本人では

 

愛犬、愛猫に

 

「お家で、う~んと幸せになってね」とか

 

「保健所に送られて殺処分されなくてよかったね。私が幸せにするよ」

 

で終れるのでしょう

 

 

それが幸せの価値観であれば、決して悪いとは言えません

 

だから、今もペットショップで97%の方が何も感じずに買えるのでしょう

 

 

 

 

でも、でも、保健所からの選択肢が当り前をこれからも訴えていきます

 

 

正しい、正しくないは別にして

 

やっぱり、犬猫は感じています

 

仲間の死を

 

 

動物は自分の為に生きていません

 

仲間を助け子孫を残す為に生きています

 

外を向いて幸せを感じているのではないでしょうか?

 

 

日本人は長い歴史の中で

 

それを忘れてしまったのではと感じています

 

 

犬猫を淘汰し

 

しまいには自分たち民族さえも颯太してしまうのではないでしょうか?

 

 

動物愛護にも一概に法に頼る考えをよく目にします

 

それは欧米に見習ってという方も多々見受けられます

 

 

しかし、法は整備するもので基本は

 

私たち市民が、その正しい道を歩いての法ではないでしょうか?

 

 

アメリカの道を走って気が付くのは

 

信号機の無い横断歩道で

 

歩行者がいれば

 

必ず停車し歩行者に道を譲ります

 

 

日本では信号の無い横断歩道で止まる車は非常に少ないです

 

その代わりに、信号の数が半端のない数です

 

信号を守りますが、歩行者は蔑ろになっています

 

 

都会では、バスや電車の中で

 

優先席でなければあえて

 

お年寄りや妊婦の方に席を譲らないと聞きます…

 

 

 

日頃、応援団で応援いただいている皆さんは

 

もちろん、他人(他種、他生物、そして自然)の幸せを考える方々だと思います

 

 

「相手を幸せに出来る自分が幸せ」と考えられる事って良いですよね

 

 

 

 

と言っても、相手に迷惑ばかりかけている自分がいます

 

いつになったらなったら幸せになれるものか…

 

 

それは、殺処分ゼロしかないですよね。