先週の土曜日
仕事で関わった60代女性から
新聞の切り抜きとお手紙をもらった。

「新聞にとてもいい記事があり
これを読みながら
あなたのことが浮かんだの。」と。

仕事上
こうして
手紙をもらうのは久しぶり。

あー、そうか…
私の仕事は……
と、自分の職種を認識しつつ
帰宅後
まずはお手紙を読み
次に新聞の切り抜きを読みながら
泣いてしまった…

あれ、
私、この人に、
乳癌であることを話してないのに、
と思った。

赤線は
女性が引いたもので
黒く塗りつぶしてあるのは
私へのコメント。

私は赤線やコメントより
この27歳のお母さんの気持ちが
痛いほど分かり
そして
この記事の内容に
共感し
泣いてしまった…

患者本人の気持ち。
家族の気持ち。

それぞれの考えを持ちながらも
お互いを思い合う気持ち。

私は
自己判断がつかない場合を除き
基本的には
治療の選択は
当事者である本人の意思が
尊重されるべきと考えている。

それは
私自身が癌患者で
自分で治療を選択したいと思っているから。

つらい治療を受けるのは本人だから。


抗がん剤治療に託す気持ちは
よく分かる。

効果があるかないか分からないものに
ただ、ただ、
すがる思いで
でも、
高額な治療費を自分に先行投資する
申し訳なさもある
あの気持ち。

癌細胞が叩きのめされているのかどうかは
分からないのに
正常細胞が叩きのめされるのは
はっきりと分かる副作用…

癌そのものではなく
抗がん剤治療の副作用で
死んでしまうんじゃないか
と何度も思った…

恐ろしいほどに激減する
白血球と好中球の数値を
別の注射で
無理くり上げて
抗がん剤投与をして
また数値が下がっての繰り返し…

なんのために治療してるのか
分からなくなる時もあった…

それでも

効果があるなら…

再発転移を
少しでも阻止できるなら…

遅らせることができるなら…

家族の期待にも答えたい…

生きたい…
生きなくちゃいけない…

まだ死ねない…

その気持ちで頑張る…

頑張るしかなかった…

家族がいるから頑張れるけど
心が折れてしまうこともある。

これは家族も一緒だと思う。

治療そのものは本人が受けるけど
本人を支えるのは家族。

私の家族は娘ひこにゃんとみるくいぬ
身内としての家族は弟。
血縁だけの家族じゃなく
自分にとって親しい存在は家族同然になる。

よく言われるように
患者家族は第2の患者。

そして
その第2の患者である家族に死は訪れる。

だから
死んだ後は
家族の意思が尊重されるべきと考える。

私も含め
死んだら、もう、分からない。

故人の遺言をどう受けとめるか、
それは残された家族の判断になる。

そりゃ
遺言とまでいかなくても
葬式はやらなくていい、とか、
墓もいらん、とか、
余分な金は使わんでエエ、とか、
希望は伝えてるけど
それを尊重するか
自分の考えを通すか
それは
好きにしたらいい。


だって、私、死んでるから、分からんし。
何回も言うなってねぇ笑


ただ、自分を責めないでほしい。

ああすれば良かったんじゃないか
こうすれば良かったんじゃないか

その思いは尽きないと思うけど
治療に関しては
本人の意思を尊重しての死だから
これで良かったんだ
と思ってほしい。

そのためにも
治療の選択は私にさせてほしい。

そう思ってきた私は
乳癌になってから
いつかはやってくるであろう
再発転移後の治療の
シュミレーションしている。

転移と言っても
どこに転移するかにもよるし
何より
私の年齢と娘の年齢により
選択する治療が変わる。

いざ、そうなったら
どうなるかは分からないけど
現時点での考えとして
修正して今に至る。

その中に
抗がん剤はしないという
選択肢も入ってる。

だからといって
私は生きるのを諦めるんじゃない。

私なりに、生きて、逝く。

それは私の価値観であり、私の意思。

それに寄り添ってほしい。

自分の存在価値と
自分の意思を認めてもらい

娘に
「もういいよ。よくやったね。」
と言ってもらえたら

娘に
「これで良かったんだ。」
と思ってもらえたら

そんな嬉しい最期はない。

そう思ってきたから
この切り抜きは泣けた…