良くも悪くもネット社会。

何かあればネットで検索し
安心したり不安になったり

ブログやツイッターやフェイスブックで
自分の本心を吐き出し
自分自身を助けたり
同じ状況や気持ちの人は助けられたり

人それぞれです。

そうゆう気持ちは理解しながらも
機械音痴ということもあり
乳癌になった後も
自分から積極的に
乳癌に関わることで
何か検索をすることはしませんでした。

でも
ある時フッと
同じ乳癌の人のブログをのぞいてみよう…
そう思ったんです。

抗がん剤投与中で
身体は痛くてだるく
寝てるのも辛く
座ったままはもっと辛く
手足はしびれ
副作用で爪は剥がれ
指先の皮膚もベロベロに剥がれ
キーボードを押すのもひと苦労でした。

今でこそ
携帯でブログを見たり
記事をかけるようになったけど
なんせ機械音痴。

その時は全く頭になく
起き上がってパソコンを開いていました。

乳癌の方のブログがたくさんあり
みんな頑張ってるんだ…
私だけじゃないんだ…
と思い励まされました。

そんな中
ものすごく惹かれるブログがありました。

母子家庭で子供がひとりであること。

これには並々ならぬ親近感がわきました。

そして
お役立ち情報や
共感する気持ちや
何より
明るくて
文章表現がおもしろく
スーッと心に入ってきました。

そんなこんなで
私はさくらちゃんのブログに
足しげく通うようになりました。

さくらちゃんのブログが
楽しみでした。
励みでした。
癒しでした。

そして
この機械音痴な私が
なんと
コメントを送りたい!
とまで思ったのです。

思いはあっても
そもそもアメブロとはなんぞや?で
アメブロに登録するのもひと苦労。

やっとこさ登録して
コメントするのもまたひと苦労。

でも
ひと苦労したかいがあって
コメント欄でのやり取りが始まりました。

何回かやり取りする中で
「ペコさんの文章おもしろいから
ブログやったらどうですか?」
と言われ
調子に乗ってその気になり
でも
機械音痴なため放置。

その間に
さくらちゃんを取り巻く
乳癌のブログ仲間での
オフ会があることを知りました。

体調が悪い日が多く
当日行けるかどうかも分からないけど
さくらちゃんに会いたくて
遅刻しながらも行きました。

私より
9か月早く乳癌になったさくらちゃんは
初回抗がん剤を終え
髪がベリーショートでした。

前髪をかわいいピンでとめていました。

「わ~。来てくれたんですね。
会いたかったです!
体調大丈夫ですか?」

笑顔で迎えてくれました。

今でも鮮明に覚えています。

あまりに笑顔がかわいくて
ブログを通して想像していた以上に
素敵な人だなぁと思いました。

とにかく前向きで
明るくて
大変で辛い中でも笑いが絶えず
私とのコメントでも
お互い、常に(笑)が登場。

オフ会では
最初に
集まった皆さんのブログ名と
ブログのタイトルとアドレスが
書かれた用紙をもらい
最後に
皆さんひとりづつ立ち上がり
一言づつ挨拶をしました。

用紙を見ても
ブログをやっていないのは私だけでした。

挨拶が終わると
さくらちゃんが
「ペコさんは
まだブログをやっていないので
これから楽しみにしていますね~。」

またしても
とびっきりの
かわいい笑顔で言ってくれました。

そして
帰る前に
さくらちゃんに挨拶に行ったら
「連絡先を交換しましょうよ~。」
と言ってくれ
個人情報を交換しました。

それから
ブログのコメントだけではなく
携帯のメールが始まり
携帯のメールでは文字数が足らず
パソコンのメールが始まりました。
ラインも始まりました。

話すうちに
え?!
まさか!
と思うような共通点があって
さらに親近感がわき
何かあると
すぐ
さくらちゃんに連絡しました。

私は乳癌になってから出会う人は
表面上は今までと変わらなくても
内心では
一線を置くことが多くなりました。

乳癌になるまでは
自分はそうゆうタイプではないと
思っていたのですが
きっと
そうゆう要素があったんでしょうね。

だから
乳癌後に知り合った人で
こんなに仲良くなった人はおらず
出会うべきして出会った
運命の出会いのように感じました。

こんな出会いがあるんだと思いました。

さくらちゃんのブロ友さんや
さくらちゃんのブログを
読んだことがある人なら
誰もが口を揃えると思いますが
さくらちゃんは
とにかく明るくて頑張り屋さんでした。

想像をはるかに超えた
超人的な頑張りをする人でした。

仕事をはじめ
何かしら愚痴をこぼす時には
ブラック さくら
ダーク ペコ
とお互いを称し

妄想倶楽部 (部長 ペコ)
自画自賛倶楽部 (部長 さくらちゃん)
鉄仮面部隊 (隊長 ペコ)
魔女部 (部長 さくらちゃん)

など、いくつもの部を発足しました。

そんな中でも
どちらも幹部になる器があり
甲乙つけがたかったのが
我が子ラブな気持ち。

「子供は宝だね!」
と言い合ってきました。

母子家庭になったのは
ある意味
自己責任でもあり
自分が選択した道だからこそ
自分なりに
子供と一緒に頑張ってきました。

乳癌になり
やりきれない気持ちになっても
切り札は
「お互い子供には恵まれたよね!」
でした。

さくらちゃんと息子君は
やり取りを聞くだけでも
すごく仲良しでした。

さくらちゃんは息子君を
息子君はさくらちゃんを
お互いを大切にして
思いやる気持ちがあふれ
さくらちゃんは息子君が大好きで
さすがの私も
これは負けるなと思うほどでした。

去年の夏
実際に会い
さくらちゃんと息子君を目の前にして
積み重ねてきた愛情と
絆の深さを一層感じました。

さくらちゃんと息子君が隣りに座り
楽しそうに会話した姿。
「美味しいね。」
と言い合いながら食べていた姿。

忘れられないです。

食事の後は
さくらちゃんが泊まるホテルまで
一緒に歩いて
おしゃべりしながら帰りました。

さくらちゃんと私は
似た考えがありましたが
私が思うに
明らかに違うところ
というか
私には
全くもって
備わっていないところがあり
それは
『素直に褒める』
ということでした。

自分自身を素直に褒める。
子供を素直に褒める。

子供を褒めることはしても
素直に、となると
果たして出来ていたのか…

ましてや
自分自身を褒めるなんて
褒めるところが見当たらず
でも
さくらちゃんは
こんな私をたくさん褒めてくれました。

私の今までの人生の中で
私を一番褒めてくれたのは
さくらちゃんです。

「もっと自分を褒めなくちゃダメだよ~。
ひこにゃん(娘)のことも
たくさん褒めてね~。」
とも言ってくれました。

さくらちゃんは私の良き理解者でした。

とても乳癌後に知り合ったとは思えない
それはもう昔から知ってるかのような
心友でした。

私の気持ちに寄り添いながら
自分の考えは
いつもちゃんと言ってくれました。

誰かの意見を素直に聞く
ということは
私にはなかなか難しく
自分でも人一倍欠けていることだと
気付いてはいました。

意見のひとつとしては耳を傾けますが
家庭背景が違う
置かれている状況が違う
そんなふうに思うと
その意見は
ただのひとつの意見に留まり
自分に置き換えられず
心の中に素直に入ってこないことが
多かったのです。

自分で言うのもなんですが
頑固で厄介なんです。私。
だからダーク ペコなんです。

でも
さくらちゃんの意見は素直に聞けました。

さくらちゃんは
そんな私をいつも笑顔で
スーッと
サーッと
包み込み

そして
いつもそっと肩を押してくれました。

そこには
絶大な安心感と信頼感がありました。

今年の夏は
私達親子が
さくらちゃん親子に
会いにいく予定でしたが
我が家が引越しをしたから
さくらちゃんが
「泊まりに行く!
弾丸トークをしよう!」と言ってくれ
6月には
8月から10月中にと日程を定めました。

でも
さくらちゃんの調子が悪くなり
薬剤変更をしても
襲いかかる副作用と
痛みに苦しみ
体調不良の日が増え
入退院を繰り返すようになりました。

そんな中でも
さくらちゃんからのラインには
必ず(笑)マークがありました。

辛い中押しかけるのはよくないけど
会いたい。
でも
さくらちゃんの体調と気持ちが大事なので会えそうな時には
合言葉を、と
一方的に合言葉を決め伝えました。

毎日のようにしあってたラインが
数日間隔になり
それでも
私は既読になると
ストーカーのように
さくらちゃ~んとラインしました。

私にとっては
既読
が返事でした。

その日は朝
職場の休憩室からラインしました。

お昼休み中にラインはしても
朝にラインをすることはなかったのですが
フッと
さくらちゃんの声が
聞こえたような気がして
おはよ~。とラインしました。

返事はなくても
半日するとだいたいは既読になるのに

お昼休み中に携帯を見ても
仕事を終えて携帯を見ても
寝る前に携帯を見ても

翌朝携帯を見ても
お昼休み中にまた携帯を見ても

既読にはなりませんでした。

丸1日既読にならなかったのは初めてで
心配していました。

仕事を終えて帰る時
携帯を見たら
さくらちゃんからラインがありました。

あ、さくらちゃんだ!
心配したよー。と思いながらも
携帯の画面で見える範囲の
文章のはじまり方が違いました。

息子君からでした。

見える範囲の文章で
現実が分かるものでしたが
私は
そんなはずはない!
約束したのにまだ会ってない!
違う!
と混乱し現実逃避をしながら
泣いて帰りました。

帰宅後にラインを開き読みました。

さくらちゃんが亡くなりました。

娘に伝えると
娘もびっくりして涙が溢れ
でも
私が隣りで泣き崩れていたので
こらえていました。

うちは
どちらかが崩れると
片方は踏ん張るしかないのです。

二人で崩れる訳にはいかないのです。

弾丸トークのお泊まり会も
4人会も出来なくなってしまいました。

私は
さくらちゃんに
会いに行くことができませんでした。

さくらちゃんは私だけじゃなく
娘のこともすごく大切に思ってくれ
旅行に行けば
私と娘にわざわざ2枚の
ポストカードを送ってくれました。

あっちこちのお土産を
たくさん送ってくれました。

お誕生日プレゼントも
お手製のブルーベリージャムも
送ってくれました。

ここに引越してから初めて届いた郵便は
さくらちゃんからで
沖縄の美しい景色のポストカードでした。

家のあらゆるところに
さくらちゃんからの
プレゼントがあります。

辛い中、連絡をくれた息子君。
ありがとう。
本当にありがとう。

息子君のおかげで
娘と一緒に
やっと
さくらちゃんに
会いにいくことができました。

経路や電車の時間などは
すべて娘が調べてくれました。

そして
「せっかくだから
少しだけブラブラしよう。」
と。

私は斎場に向かうだけしか
頭になかったのですが
さくらちゃんが
「せっかくだからそうして~。」
と言ってるような気がして
「そうだね。」と言いました。

娘は娘で
泣き続ける私を
心配していたと思います。

ランチをしようと
娘が決めたお店はオシャレで
美味しそうでした。

お店に入ると
窓側に案内され
すごくきれいな景色でした。

晴れ女のさくらちゃん。
美しい景色が好きだったさくらちゃん。
オシャレだったさくらちゃん。
美味しいものが好きだったさくらちゃん。

なんだかさくらちゃんも
一緒に来てるような気分でしたが
娘に
「さくらちゃんも一緒に来たかったな。」
と言い泣くと
「さくらちゃん、一緒に来てるよ。」
とサラッと言いました。

その時は
私を慰めるためだと思ったのですが
その後も
さくらちゃんと一緒に来てるような
初めて行く土地を案内されてるような
感覚がありました。

斎場に向かうだけなら
通るはずもなかった
さくらちゃんのお家の
最寄り駅を通過した時は
「ここが私の大好きな街だよ~。」
と言ってるようでした。

遺影のさくらちゃんを見て
撮りに行く前
撮りに行った後
話したことが浮かびました。

どんな気持ちで撮ったか
何を心配していたか
私なりに理解しています。

斎場では
息子君が喪主をつとめていました。

私の前では涙を流さなかった娘が
お通夜中は隣りで泣き
涙を拭いていました。

早かれ遅かれ
私もいつか旅立つ時が来ます。

さくらちゃんを亡くした悲しみと
息子君を思う気持ちがあったんだと
思います。

お通夜後
さくらちゃんに会いました。

本当は息子君に挨拶してから
さくらちゃんの顔を見たかったのですが
息子君は参列された方とお話をしており
新幹線の時間もあるので
声をかけず先に会いました。

やっと会えました。

さくらちゃんは眠っているようでした。

「会いに来るのが遅くなってごめんね。」
と声をかけると
「来てくれてありがとう。」
と言って笑ったように見えました。

びっくりしました。

そして
「明日は
ひこにゃんを学校に送ってあげてね。」
と。

明日のことは
言ってないのに
見透かしているようで
またびっくりしました。

もっと話したかったのですが
後ろで待ってる方がいたので

「さくらちゃん、ありがとう。
本当にありがとう。
さくらちゃん、大好きだよ。
またね。」
と言ってお別れをしました。

その後
息子君に声をかけようと思ったら
今度は後輩やお友達らしき人と話していて
話してるところに
割り込むのはできないから
娘とこのまま失礼しようと話し
一度外には出たものの
ガラス越しの中を見ると
おば様方とお話をしていて
やっぱり私もひと声かけたくて
また中に入りました。

でも
息子君に会ったのは去年の夏に一回だけ。

会った時と違い
私は髪も短くして
眼鏡もかけていたので
息子君は私を見ても
分からないだろうと思っていました。

でも
おば様方とのお話をおえると
息子君から
「お久しぶりです。」
と言ってくれました。

びっくりしました。

私は話しながら泣いてしまい
気の利いた言葉のひとつ
言えませんでした。

息子君は
「遠いところ大変でしたよね。
ありがとうございます。」
と優しく言ってくれました。

息子君が一番辛いのに
私を気遣ってくれました。

話してる間
娘は後ろで黙っていました。

帰りの新幹線は
遅い時間にも関わらず込み合っていて
自由席では座るところがなく
でも立ったままもしんどいし
のぞみで私達が利用する駅までは
止まらないから
出入口のドアの前で
街頭でもらった紙を敷き座り込むと
さくらちゃんの笑い声が
聞こえたような気がしました。

娘は告別式は学校で
どうしても休めず
「ひとりで帰るから大丈夫。」
と言いましたが
私は娘をひとりで
帰すことが出来ませんでした。

成人しても
いくつになっても
子供は子供なんです。

まして
同じ乳癌。
同じ母ひとり子ひとり。

2時間半の道のりを
ひとりで帰すのは心配でした。

だから
帰宅して
私が朝いちでまた斎場に
向かう予定でした。

帰宅する時間に合わせて
友人のろんちゃんが
泊まりに来てくれました。

帰宅してから娘とろんちゃんに
「勘違いかもしれないけど
さくらちゃんがそう言ってた気がする。」
と泣きながら話しました。

ろんちゃんが
「さくらちゃんは
ひとりで来るのを心配してるんだよ。」
と言い
娘もうなづいていました。

ろんちゃんは
13年前に母を亡くしています。

ろんちゃん母には
私も娘も
本当に可愛がって頂き
お世話になりました。

そして
ろんちゃんは
「うちは自宅で葬儀だったから
みんながバタバタと準備している中
霊感もない妹が
遺影のお母さんがこっち見ながら
ずっと笑ってる。
いつになくバタバタしてる子供達が
おかしかったみたいで
お経を上げてもらってる最中も
ずっと笑ってるからこらえるのが
大変だった。
と言ってたのを思い出した。

私にはお母さんが笑ってる姿が見えなくて
妹が羨ましかった。

その場にいなくても
気持ちは届くんだから
さくらちゃんが言うように
学校に送ってあげた方がいい。」
と言いました。

娘はまたうなづいていました。

そして
娘が部屋に行った後
ろんちゃんと二人で話す中
「いつもは見せないけど。」
と言いながら
携帯を見せてくれました。

娘とろんちゃんの
ラインのやり取りでした。

ろんちゃんはさくらちゃんと
会ったことはないけれど
私がさくらちゃんを
どれほど支えにしていたかは
知っています。

私を心配するろんちゃんに対し
娘は
「お母さんのことは任せてください!」
と返事をしていました。

こんなやり取りをしてたこと
こう言っていたこと
知らなかったです。

娘は娘で
思うところがある中
落胆する私を支えてくれています。

ありがとう。
本当にありがとう。

でも
お通夜だけでいいのか。
さくらちゃんは本当にそれでいいのか。
息子君がつとめる喪主を見届けて
ちゃんと見送ってほしいんじゃないか。
こんな私でも
そばにいてほしいんじゃないか。
と、うぬぼれたことを思い悩みました。

それに
私に何か言いたかったことが
あったんじゃないか。
私に何か頼みたいことが
あったんじゃないか。
とも思いました。

でも
どんなに聞いても返事がありません。

悩んだ末
さくらちゃんの言葉通りにしようと思い
葬儀中の忙しい朝
息子君に連絡して返事をもらいました。

ろんちゃんも一緒に
娘を学校まで送り
そのままろんちゃんを駅まで送り
どうしても買いたいものがあったので
ろんちゃんとお店に寄りました。

さくらちゃんは
私のつたない工作も
すごく喜んで褒めてくれました。

このお店でもよく材料を買いました。

6月にこのお店に来た時も
ろんちゃんと一緒で
「さくらちゃんに送りたいものがある。」
と言って
作るものをイメージしながら
ウキウキと買い物をしました。

その時を思い出し泣けてきました。

時間も告別式の時間帯だったので
ひとりで何度も手を合わせました。

ろんちゃんを
新幹線乗り場の改札口まで送ると
告別式の時間もあと残り少しでした。

去年さくらちゃんと息子君に会った時
帰りの新幹線の時間を聞き
娘と一緒に
ホームに見送りに行ったんです。

さくらちゃんが
「写真撮ってないから撮ろう。」と言い
さくらちゃんと娘と私で
写真を撮りました。

本当は息子君も一緒に4人がよかったけど
息子君が撮ってくれました。

ドラマのように
はじめて
新幹線の窓越しに手を降りました。

それを思い出し、また泣けてきました。

時間的に
さくらちゃんが空に行ったと思われる時
私は帰宅するために運転をしていました。

何の気なしに通った道が
4人会の後
さくらちゃんと一緒に歩いた道でした。

さくらちゃんは
この道の上の空を通ってるのかな
と大泣きしながら運転して帰りました。

帰宅後
ベランダに出ると
あれ、さくらちゃん?
と思うことがありました。

ベランダの手すりから部屋の中を
ジーッと見ていました。

私が近寄っても
動かず
ジーッと見ていました。

姿を変えて
さくらちゃんが来てくれたんだ
と思いました。

その夜、
夜中に視線を感じました。

薄暗くてはじめは誰か分からず
怖くて目を閉じましたが
もしかして、さくらちゃん?
と思い目を開けると
薄暗い中でも顔がはっきり分かり
さくらちゃんでした。

さくらちゃん?
と声をかけても返事はなく
何も言わず目を閉じ
眠っているようでした。

さくらちゃん
昼間も今も来てくれたんだね。
と言い私も目を閉じて寝ました。

あれもこれも
すべて私の思い過ごしかもしれません。
こじつけかもしれません。

でも
それでも

私には
そう聞こえ
そう感じ
そう見えたから
それでいいんです。

大切な人を亡くすと
心にポッカリと穴があく
と言う表現がありますが
本当にポッカリと穴があき
ふとした時に
とてつもなく胸が苦しくなります。

今までに味わったことのない苦しみです。

苦しくて涙がボロボロ出る時もあれば
苦しいだけで涙が出ない時もあります。

私にとって
生きるチカラは愛娘だけど

さくらちゃんは
人として
女性として
母子家庭で働く母として
同じ乳癌の仲間として
私の生きる希望でした。

これからもそうです。

さくらちゃんとの出会い
さくらちゃんのブログ
さくらちゃんとのやり取り
忘れません。

私にとってさくらちゃんが
どれほどの存在だったか…

息子君に
どれだけ救われているか…

娘に
どれだけ支えられているか…

そして
悲しみに暮れる中
私を慰めてくれた人達
ありがとう。


今日はさくらちゃんのお誕生日です。

お互い
ひとつづつ
歳を重ねていくことは
もうできないけれど
さくらちゃんのお誕生日は
大切な日です。

さくらちゃん
お誕生日おめでとう。

さくらちゃん
ありがとう。

さくらちゃん
大好き。