私は宮城県仙台市在住です家



明日で3・11から一年です。


あの日のこと、今でもはっきりと覚えています。

もちろん、当時年長さんだった娘のチコも何度も口に出す

ほど、衝撃的な出来事でした。



東部道路という石巻と亘理をつなぐ海岸に近い高速道路

を通ると、まだ船が田んぼにおかれたまま。海の松はほとんど

流され、ぽつりぽつりと頑張って津波に耐えた松が残っています。

東部道路から、以前はまったく見えなかった海が見えるようになり

ました。もちろん、がれきの山も見えます。



「復興、 復興」と言われていますが、地元では震災後、ほとんど

何も変わっていません。



我が家は「河北新報」という地元紙を購読していますが、毎日

震災関係の記事が多く掲載されます。1年経った今も、死亡者欄に

名前が載ります。震災後、引き裂かれた家族や、被災者のその後の

生活について、現状が掲載されています。


仮設住宅に入居しなかった家族は、自分が被災しているにも関わらず、

支援が受けられなかったり、小さな企業は、千円単位で必要な設備が

何千個と必要なのに、単価が支援額に満たない&消耗品と扱われ、

支援が受けられないと嘆いています。



私たちにできる支援の一つとして、被災地ブランドの物を購入したり、

仮設住宅のお母さん・おばあさん方が作っているニットのハート型

ブローチや帽子・マフラーを購入することがあります。ニット製品は

半分が製作者の収入になるそうです。(ネット販売もあるそうです。)


先日、ニュースで、おばあさんが「娘と孫が震災で亡くなり、自分だけ

が残ってしまった。外出もしていない。外出をして、娘や孫と同じ年頃の

人を見ると、泣いてしまうから・・・。」「今は、ニットのブローチ作りをし

ている。集中していると、嫌な事が忘れられるから。」とおっしゃっていま

した。



一年経った今、「3・11から1年」と盛んにテレビなどで番組が放送され

ていますが、一年経った今月だけではなく、一年中を通して被災地に

目を向けていただきたい思いです。


決して3・11が忘れられませんように。そして、まだ現在進行形で苦しい

思いをしていらっしゃる方、家族にエールが送られ続けますように。



明日は夫と一緒に、教会のおミサに行って祈りをささげてきます。