死を学ぶ | shell studio

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人は誰でもいつか死んでしまう。

子どもたちにとって、衝撃的な事実です。
普段は、私たち大人だってあまり考えないようにしています。

ただ、少し経験があるので、知っています。

親戚のおじちゃんが亡くなりました。
子どもたちにとっても身近な方で、つい一週間前にもお元気な姿を
お見かけしていました。

「おじちゃん死んじゃったんだって」
電話をもらって、ちょっと迷ったのですが、
子どもたちにはそうストレートに伝えました。
「えっ」
中学生はすぐに理解したようで、表情に悲しみが見えました。
この子は肉親とのお別れは二度目なのです。

でも、小学生の子どもたちにとっては、初めての人の死。
何か大変なことなんだろうということは分かったようですが、
それよりも大人がバタバタと準備する様子の方が気になるようでした。

保育園児は
「おじちゃん死んじゃったんだって。かわいそうにねえ」
とたどたどしい言葉で何回も私に言いに来ていました。
「そうだね。後でお別れの会に行くから、いっしょにおいで」
「うん」
このくり返しでした。

小さい子にとってはお通夜は長丁場だったのですが、
しっかり我慢して過ごせたのは、そこが「お別れの会」だということを
理解できていたからかもしれません。

子どもたちは小さな日常を繰り返して、
少しずついろいろな感情を覚えていきます。

そして、人生に対して経験をつんで、
いつか来るもっと大きな衝撃にも耐えられるよう、
練習をしているようです。

自分もこうだったのでしょうか。

次の日、子どもたちは登校し、
私たち夫婦だけお葬式に出席させていただきました。
そして帰宅した息子は、飾られたお花をみて、

「あ、おじちゃんのお花?」
しばらく立ち止まって、それから自分にの部屋へ入っていきました。

どんな思いだったのか、どんな風に理解したのか、
そしてどんな風に落ち着けたのか。
それは彼のものです。

子どもたちのこれからの日々、どんどん移り変わり成長する心、
私はできるだけそばにいて、見ていたいと思うのです。