6月4日の事だった。電車の乗り継ぎで3時間ほどかかって、母の入院している県内の病院へようやくたどり着いた。途中のJRから私鉄線への乗り継ぎで、健常者なら10分程度のところ、両脚の悪い私は35分かかってしまったからだ。暑い日で、途中のベンチで5分ぐらい休まねばならなかった。
病院にたどり着き、病室に入り、母の所へ近づくと、変わり果てた母の姿に言葉を失った。
母はガリガリに痩せこけて、言葉も出せずに、苦しんでいた。その姿は、写真で見た事のあるアウシュビッツのユダヤ人収容者の様だった。
母は苦しそうに身体を起こそうとするのだが、起きられず、苦しそうにしていた。「どうしたの!お母さん!」と私は叫んだ。
病室にいる他の患者さん達も皆、高齢者で、看護師が来て、ジュースを配っていたりした。母の担当の看護師がようやく来ると私は、「容態はどうなんですか?どうしたんですか?何か苦しんでいるようなんですが、話せないし、身体を起こそうとするんですがベッドを起こしてはいけないんですか?」と聞くと、「熱があるので、寝かせているのに、身体を起こそうとするんですよ」と言って行ってしまった。
「お母さん、私だよ。どうしたの?どこが苦しいの?」明らかにどこか苦しいらしい様子が続くので、ブザーを押して看護師を呼んだ。「血液検査の結果は良くなっていて、予定通り明日退院です」と看護師は言う。私は「この様子で明日退院なんですか?あの、ソーシャルワーカーの〇〇さんを呼んで貰えませんか?」と言った。「お約束があるんですか?」「ないですが、遠くからせっかく来たので是非ご相談したい事が」といい、「あと、母の好きなカステラを持って来たんですが、食べさせても良いですか?」と言うと、看護師は「外部の持ち込みは先生に聞いて見ないとダメです。…そうだ。お母さんにもオレンジジュースが出ていたんだっけ。それを持って来て上げますよ」と言って出て行った。
 持ってきたトロミの付いたオレンジジュースを看護師がスプーンで少しずつ母に飲ませると、だんだん母の顔色が良くなっていき、母は完食した。私は「お母さん、よっぽど喉が渇いていたんだね。美味しいジュースもらって良かったね」と言うと、母は見違える様な明るい表情をした。
看護師がソーシャルワーカーを呼びに行き、母の様子に苦しそうな様子はなくなった。
ソーシャルワーカーが来ると、私は前にも電話で相談していた地元病院への転院の話をした。すると、電話でも言っていた様に「病院の窓口は妹さんになっているんで、こちらではどうしようもないです。ご家族で良く話し合って下さい。」の一点張りだった。そして母の容態について私が「3月に最初の入院の時は母は話も出来たし、あんなに元気だったのに、どうしてこんなに容態が悪くなったんですか?ガリガリに痩せているし」私はたった2、3ヶ月で、どうしてこうなってしまったのかいぶかしんだが、ソーシャルワーカーは「ご高齢ですからね」の一言で済ませた。
ソーシャルワーカーが退室してから、私は、喉があんなに渇いても、苦しんでいても言葉に出来なくなってしまっている母に、しばらく悲痛な目を向け続けていた。こんな赤ちゃんの様になってしまっている母をなんとか救わないとと思った。
夕方になり、赤ちゃん状態の母をこのまま置いて帰るのに涙が止まらなくなったが、「ごめんね。お母さん。すぐにうちの近くの病院に転院させるから、ごめんね。今日は帰って弁護士さんに電話しないと」後ろ髪を引かれれながら、涙を擦りながら病室を後にした。