父との別居生活は、予想以上に上手く行き、母は1日2、3回以上自宅とアパートを行ったり来たりしていた。私も1日置きくらいにアパートへ母の様子を見に行ったりして、私は地獄の様な生活から解放され、生き返った思いをしていた。
順調な別居生活から数ヶ月後のことだった。市の地域包括支援センターから呼び出しの電話があった。支援センターへ行ってみると、当時(5年前)のセンター長が「看護師の妹さんの同意を得ているんだけど、お父さん、お母さんの二人を新しく出来た有料老人ホームに入れたいんだけど」と唐突な話になった。私はびっくりして、「母が施設に2、3日泊まるだけでも、あんなに嫌がって大変な騒ぎになったのに、そんなの無理です」と言った。「歩いて15分位のアパートから、母はいつでも自由に自宅とアパートを行ったり来たりして、元気に暮らしてますし、第一父は発達障害で、大勢の他人と一緒の施設では、暮らせません」「妹さんは大丈夫だろうと言ってますよ」「妹は、20年以上も前に結婚して家を出たきり、父母の様子はほとんど知りません。母の面倒もこの前の騒ぎの時に3日ほどみただけです」と言ったが、センター長は二人で施設に入るのが一番良いと言い張り、私が「スープの冷めない距離で半別居で大変上手くいっているので、必要ありません。それに父母の年金を全額注ぎ込んでしまっては自分の僅かな障害年金だけでは暮らして行けないんで私が生きていけません」と言うとセンター長は明らかに怒り出し、「あなたは生活保護でも受ければ」と言った。「それはおかしな話ですね。父はタクシーのバイトを続けたいから、母に自分の生活の面倒をみさせたいから、施設は利用しないと言い張って、大変な騒ぎになってたんですよ」と私が言うと「お父さんも物忘れが酷くなってるって言ってましたね。タクシーの仕事は無理なんじゃないですか?」「父は物忘れが始まってるだけで、認知症は発症してません。酷いのは私に対する態度や暴力だけで、今は別居で解消されてます」と私は言って席を立った。
知り合いの元高齢者福祉課の職員にこの話をすると、「今のセンター長は、私の後輩で良く知っているよ。明日すぐに事情を聞きに言ってあげるよ」と快く請け合ってくれて、知り合いの元市役所職員が話に行くと、その話は、立ち消えになった。