東日本大震災の一ヶ月前、認知症の母の介護と、その12年前から発症した自分の脚の障害の為に職を失った。毎日仕事で地元市内を駆け回っていた自分の片脚が変形性股関節症の為動かなくなっていた。職を失う数ヶ月前、編集長に「片脚引きずってるようだけど」と指摘され、腰と脚の不調を話し、手術が必要だと思うと相談した。それと同じ頃、オーナーの息子さんに、「お母さんが、踏み切りの辺りを歩いていたのを見たけど、様子が変だったけど」と聞かれ「母はどうも認知症らしくて、かかりつけの内科の病院で、薬を貰ってます」と話すと、「お母さんが、普通じゃない様子で歩ってると、会社の外聞が悪いんで、気を付けて」と言われた。その数ヶ月後に、全く納得のいかない理由で、オーナーの息子に突然、解雇された。編集長は、「こんな急な解雇はあまりに理不尽だから、オーナーによく相談して」と言われ、オーナーに申し出たが、広報部は息子に任せて居るので、息子の判断に任せる」と言われ、解雇が決まってしまった。10年間その仕事で生き生きと地元を駆け回っている姿を、認知症発症前の母は「この仕事は、姉ちゃんの転職だね。頑張って」と、応援してくれていたが、認知症発症の2、3年前から、夕食の用意が面倒だから、デパ地下で、お惣菜を買って来てと毎日のように言う様になっていた。ほとんど掃除もしなくなり、台所や家の天井のあちこちに蜘蛛の巣が張り出した。母は40代の頃からアルミ加工の町工場に勤めていて、60代後半にも工場の仕事が忙しい時だけだが、手伝いのバイトに行っていた。サッシや建築用のアルミの建材の加工前にガムテープを貼る仕事なのだが、空気を入れずに貼るには熟練を要するらしく歳をとっても呼ばれていたのだが、90cmとか1mとか寸法があるのだがそれを度々間違えて母は「指示した人に度々怒られるようになったのでもう、辞める」と言い出して、69歳で仕事を辞めた。私は「もう定年をとっくに過ぎてまで、重宝に使われて来たんだから、辞めてゆっくりしなよ」と言ったが、内心「これで家の中の掃除が行き届いて、綺麗になるだろう」と母の退職を喜んだ。

ところが、それから何ヶ月経っても家の中の蜘蛛の巣や汚れはちっとも綺麗にならなかった。相変わらず「夕飯の支度が嫌だからオカズ買って来て」といい、我儘放題を言うようになっていた。「お母さん、冷蔵庫の中に肉やら野菜やら自分でいっぱい買って来てあるのに何で料理しないの?私も、今そんなに無駄なお金ないよ!」度々そんな口論になった。そして、「お母さん、仕事辞めたんだから母屋の掃除はお母さんの仕事なんだよ。蜘蛛の巣がいっぱい張ってるけど、昼間いったい何をしてるの?」と聞いてみたところ、「この頃、眠くてしょうがないんだよ。」と母は言い、そう言えば時々昼食にお弁当を買って家に帰った時に座敷にごろ寝しているのを度々見掛けていた。私が仕事から帰る夕方には目を覚ましているのだが、日中はいつも寝ているらしかった。