7月23日の事だった。母の日転院の話をした日から全く音信不通になっていた妹がから電話が入った。「病院から連絡があって、お母さんの容態が急変したって」と言う。覚悟していた連絡だった。妹の車で母が入退院を繰り返していた遠くの病院へ向かった。「転院の話が始まった所なのに」と妹が車中でぼそりと言った。遅い!今頃何言ってるんだと思っていると、弁護士先生から電話が入った。来週の金曜日に地域包括センターと地元の病院の関係の人達と話し合いがあると。遅い!遅い!遅い!何やってるんだ!冗談はよせ!「包括がなぜ関係して来るんですか?今、病院から母が危篤だと連絡があり、病院へ向かってる所です。」と私。弁護士先生はいかにも自分の手柄の様に話し続けるので、「もう、包括なんて関係ないですよ。母は危篤なんです」と2度まで言った。「母の入所の特養から連絡があって、もう病院の仕事ですよって言われて、包括センターに私が相談したんだよ。」と妹が言った。そう言うことか、実際に母の面倒をみてくれている特養の施設長が、経験上からも次に入院したらもう終わりだと思って言ってくれたんだ。でもそれも遅い!
「包括は関係ないでしょ」と繰り返すと「行政に入ってもらった方がこう言う場合、いいから」と妹。こいつはこうなっても最後まで母が生き残った時の保険が欲しいのか!自分が看護の専門家だと威張って豪語する看護師さん、自分の母親のあの痩せ方さえ、この夏越せない事すら見抜けないのか?
病院に着き、息も絶え絶えの母に会った。守れなかった。でもお母さんの命を短くしたのはお腹を痛めたもう一人の娘なのだから…仕方がないんでしょう?
分かってた事なのだ。全身全霊で抗った。でも抜け目のない妹が勝った。最初に妹が地元の施設に母を入れようとして骨折させた時から。こちらも県の窓口に相談して妹は呼び出されて面談した。それでもやめなかった。自分の思い通りにした。思い通りに施設や病院嫌いの母の命を縮めた。
ふと母の様子を見に来た看護師が母の寝間着を直しながら言った。「なんか、お年なのか跡が付きやすくて。皮膚が弱ってるみたいで」
その言葉が気になって妹が部屋を出た時に見てみると、母の腕や肩に何か所も痣や傷があった。点滴の針の跡ではないアザや傷。たくさんある。何なんだろうこれは?
妹は看護師の言葉に黙って頷いて居た。仲間うちの暗黙の了解のように。
そして、5時間後には母は亡くなった。父が自分の癌を話さず、倒れて2週間で亡くなったのを「本当に良い死に方だよ!」と喜んでいた妹だが、それより短いたった5時間の看護で。
お母さん、あなたは何のためにこの娘を看護師にしたんだろう。お通夜の夜、母に一人で向き合っていた私は、警察に病院の虐待の疑いを通報しようかと携帯を握りしめた。アザの写真だけでも撮ってくれと。しかし、まるで気持ちよく眠ってるかのような母の顔に、それを止めるように言っているんだなと思ってやめざるをえなかった。安らかな母の死に顔が、もう十分だよ。姉ちゃんは良くやってくれたよ。この暑さで姉ちゃんの心臓も持たなかったら、お母さんが、泣いちゃうじゃないか、と
医療現場では実際放置があっても、家族が毎日のように来なければ分からない。そして、組織は、仲間うちは庇いあう。遠くの施設に入所させ、面会にも滅多に来ない年寄りがどういう扱いを受けるか、家族はよくよく考えてみてください。