JRの駅に着いて、弁護士の先生に電話した。「今日ようやく母の病院に来れたんですが、大変です」と、今日の様子を話した。「すぐに転院させないと、母は今月いっぱい持ちません」と私は言った。「熱があるのに退院させるんですかね。それはダメでしょう」と先生も言い「あそこの病院に居てはダメです。救急病院のような所で、お年寄りの療養病床もないでしょう。認知症のお年寄りへのスキルもないようです。転院させても今の特養に戻る方向で、何とか地元への転院させないと、母はこの夏越せません。とにかく苦しんでいても言葉に出来ないようになってしまっていて」と私は訴えた。
翌日母の認知症状が一番酷かった時のケアマネージャーに電話で相談した。「とにかく、骨折からたった2、3ヶ月で、ミイラの様に痩せこけてしまって、遠くの病院で脱水症状で苦しんでいてもいい誰も気がつかないんです。家族が毎日面会出来ないと母はこの夏越せません」と話すと、「その事病院に言いましたか?言わないとダメですよ」とケアマネさんが言った。私は「妹が同じ看護師なんで素人がああだこうだ言うのをとにかく嫌うので、ずいぶん喉乾いてたんだね。美味しいジュースもらって良かったね。としか言えませんでした」と言った。「転院しないと、本当に持ちそうにないので病院から元気に退院できると良いとしか思えないんですが、こちらの施設にお世話になる話になったらぜひ、相談に乗って下さい」と私はお願いした。
弁護士の先生に電話で、今の特養の施設長と3者で話せるようにお願いした。
ところが、三者の面談をすぐにでもしたかったのに、弁護士だか施設側の都合だか月末にまで伸びてしまった。私は「人の命のかかっている事ですから」と再三弁護士先生にお願いしたが、早まることはなかった。
 6月上旬、母の入所している特養に電話して施設長と話し、転院の事が技術的に可能か相談すると、「今は施設に戻って落ち着いているが、再入院の際、移動が可能な容態だと病院が判断すれば、病気が軽ければ、地元の介助タクシーを頼んだりすれば良いかも知れません」と教えてくれた。6月の下旬になり、母の入所する施設に行って弁護士先生と三者会談になると、その上旬の話は無理があるかもと、転院に消極的な話になった。母に面会すると、前よりは元気そうで、私が「お母さん!」 と声をかけると、私だと分かったらしく、にっこり笑った。それが唯一の救いだった。
私は父の発達障害と、去年の夏、鬱病の診断を受けた妹が父親そっくりの精神構造になっている事を説明すると、そこの施設長は精神障害者の入所者も対応していた人で、理解は示してくれた。「精神障害者の場合、自分にとって味方だと思ってもらわないと、話さえ聞いてくれません。味方だと思ってもらってから、それからですね」と施設長は言った。時間の掛かる事で、私は絶望していた。なぜ、妹がこうまでして母の命を握っているのだろうか?22歳で結婚して近くの実家にも寄り付かなかった妹が。