必要に迫られて動画編集をいじりはじめました。

やれることが一気に広がりました。

20才手前の時に無理やりパソコンを覚えさせられて、でも画像編集やら何やらやり始めたら楽しくなって。

そのうちHTMLでホームページが作れるようになって、自分の創作物を全世界に公開したときのうれしさ。

 

今またアラフィフが見えてきた年齢でその時のような高揚感があるんですね。

これは得難い経験です。

 

ChatGPTが浸透してきたと思った瞬間、ワタクシのネット領域である画像・動画編集。

一気にAI搭載の色々なものが登場しました。

いまやスマホの動画アプリでさえ、AIで簡単に背景変更やスリムシェイプができる。

静止画だとスリムシェイプは以前からありましたけどね。

背景変更もクロマキーではなく、AIが瞬時に背景を認識して任意の背景に置き換えてくれます。

 

ChatGPTが話題になり始めた頃、AIに仕事を奪われていく職業は何だ?!みたいな話題がありました。

いや、現在進行形でこの議題はあります。

 

実際にハリウッドのストライキの話なんかもあったり。

 

AI音声も2年前と比べるとだいぶなめらかになりました。

動画編集アプリにテキスト読み上げ機能が付いているくらいです。

(しかも男性・女性や日本語テキストを他言語で読み上げが可能)

声優の声をプログラミングしてセリフを読ませれば、そのうちAIに取って代わられてしまうのでは?と危惧されています。

 

声優に限らず、AIの進化で淘汰されてしまう人はいるでしょう。

これは間違いなく。

ただ、ワタシがAIを触っていて思うのは、AIは作業を便利にするかもしれないけれど、あくまで補助的なんですね。

 

AIに仕事を凌駕されない、生き残れる人というのは、AIの先を行く人だと思いますし、これからはAIの先を行く思考が出来ないと、それこそAIの方がいんじゃね?ってことになりかねません。

 

声優さんだとそれが顕著だと思います。

ナレーターさんとなるとまた少し異なりますが…

単にお芝居ができる、ある程度の感情を入れて台本のセリフを読み上げるだけではAIでも変わらない。

じゃあAIにない技術、それを持っている人こそプロだと思うんですね。

 

ワタシは過去このブログでも「芝居のイマジネーション」「視る側の琴線」のことを書いていますけれど、まさにそれ。

単なるお芝居をするだけでなく、視聴者の感情にどう訴えるか。

 

現時点での話ですが、AIがアニメの情景を理解してセリフを発する所にはまだ来ていないんです。

アニメって絵があるからそれに合わせて芝居をして声を当てればいいと見てる側は思うかもしれません。

その芝居の部分ですよね。

芝居をどう「声で魅せる」か?

今の時点では、それがAIの1つ先を行くという所ではないかと。

 

ワタシもアニメを見ていて、たまに、たぶんこの人は本人は芝居をしているんだろうけれど、アニメの中だけなんだよなぁ…と思う人が、中堅といわれる年齢でもいらっしゃいます。

60代以上の声優さんで今でも現役バリバリで毎期何かしらのアニメに出ている方というのは、アニメの絵を通りこして視聴者にアプローチしているんですね。

結局、そういう人が生き残る。

 

え、それって今までの声優業界と一緒じゃん?

って思うでしょ?

でもなんか中堅以下の声優さんは特に、絵を通り越したアプローチが足りないんじゃないか、それが今の「声優十把一絡げ」状態を生み出しているんじゃないかと思うんですね。

例えば不祥事で降板して代役が入ったけど、この人じゃなくてもよかったよね、って言われてしまう人もいるじゃない?

 

残念ながら、この先のテクノロジーの進化を考えると「声」で視聴者に選ばれる時代はもうそろそろ終わりでしょう。

「声」はいくらでも作り出せてしまうし、もしかしたらもうすでに、声のトーンの他にも、声紋と掛け合わせる所まできているかもしれませんし。

 

ワタシ、声優の専門学校とか行ってないから良く分からないけど、専門学校って、「演技」の先の「どうしたら演技で視聴者に選ばれるか?」というところまでは教えないのかしら?

 

「ソコに気づけれるかどうか」

これは一般の社会人でも同じなんですけど、「仕事のツボ」みたいな所って必ずあるんですね。

社会人として使い捨てにならない人材はツボを見るけるのが上手いひとなんです。

(世渡り上手ではない)

自分で見つけたツボを自分の強みとして持てる人ね。

 

結局AI時代には自分の強みを持てる、ソコに気づける人が生き残る。

ワタシは、「標準」という言葉の転換点が来ていると認識しています。

 

↓過去記事。「演技のその先」の話。