お天気が良いとお掃除やお片付けがはかどります。
気分爽快! もっときれいにしたい!というポジティブなパワー。
本来掃除が苦手、こんにちは蘭月すばるです。
車“だけ”キレイにしているので(外観もツヤツヤ)、ワタクシの外面しか知らない殆どの人は「キレイ好き」だと思っているらしい。
そりゃ人様を乗せる機会も少なくないですから、キレイにしますよ。
車が無いと大変不便な地域なのでね、たまに運転していて、知り合いの方が歩いていたりバス停で待っていたりすると進行方向が同じなら乗せていくこともあります。
助け合いです。
しかしこれが自分の家ともなると、本当に片づけない、掃除しない人種。
今回洗濯機を買い替えるにあたり、少なくとも搬入経路は綺麗にしないといかん。
13年散らかし放題の家の片づけに手をつけたわけです。
何でこんなモノとってあるの?っていうものがワラワラ。
引っ越しが無いので、家を整理する機会もないのですが、今回は心を鬼にして!
全集中掃除の呼吸でホコリを吸いまくり、鼻炎になりながら頑張っています。(現在進行形w)
家に不具合があっても大工さんを修理に呼べないくらい散らかっておりまして(だから大体自分で直す)、ワタクシ、長年彼氏を呼ぶことができませんでした。
「コイツ、なんで一人暮らしなのに家に入れないんだ?」と不信に思ったお相手もいたでしょう。
祖母と同居していた時は、祖母がキレイ好きだったので、彼氏を呼んだこともありましたよ。
まだ10代の頃ねw
ただ、汚部屋という言葉がありますが、モノが散乱しているだけで衛生的に汚いわけではないです。
少なくとも食べ物関係のゴミや洗剤類の空き容器とか、そういうのはすぐに捨てますし。
じゃぁ何が散らかっていたのかって、本です、本。
いたるところに積読本が賽の河原のごとく。
今回だいぶ処分しました。
amazonマケプレに出品したりもするのですが、売ろうと思うと保管してしまうので、いっそ情報の古い本は捨てました。
2010年くらいのパソコン関係の本なんて、今役に立ちませんからね。
これからはスマートフォンマーケティングだ!って。
SEOもワード重視の時代で。
こんな時代があった、と懐かしむ隙を作ったら負けです。
さて、片付けが苦手な人の特徴といえば「掘り出したもので別のことを始める」という現象があげられるでしょう。
「あ、こんなのあったっけ」とか言いながら。
ただ、昔の「記録」はそのまま捨てるのは忍びないので、いっそここで晒して焚き上げようと思います。
少々お付き合いいただけましたら幸いです。

まず大量の出現したお手紙の山。
50通くらいありました。
ではなく、過去にいただいたラブレターの束でもありません。
ラブレターなんて1通も貰ったこと無いモン!
自慢じゃないけど、男子から告られた経験もない。
一度でいいから経験してみたかったですね、告られるというシチュエーション。
1998年ごろ、ヅカ友のお姉様との文通。 ご近所にジェンヌさんの親戚があり、チケットを取ってもらっていた方です。 そして当時まだ高校卒業したてだったワタシにたくさんヅカビデオを貸して下さいました。
出現して一番驚いたのは1992年、中学2年の時の日記。
2005年まで日記をつけていたんですよ。
2000年以降のものは割と早い段階で処分していたので、まさか90年代の日記が!残っていたなんて!
男子の日記か、ってくらい字がキタナイ。
B'zのZEROがヒットしていた時ですね。
どんだけZEROをリピってんのよw
92年の日記は当時好きだった男の子の観察日記と化している部分もありまして、中々オモシロイ。
薄っすら透けて見える前のページがコレ。
当時のワタクシの趣味:ジェニー人形のドレスづくり。
中学の頃はぼんやりと服飾系に進みたいと思っていました。
そのわりには不器用で家庭科3だったけど。
オリーブというのはジェニーのフレンドドールです。
まだ我が家の押し入れの中に住んでいます。
作ったドレスのメモを残しているのはえらいな。
ドールのドレス作りは常に再開したいと思っていることの1つですね。
今年はマスクを作る関係でミシンを出したし、ミシンとお友達になれたので、少しずつ再開したいと思います。
お次は1996年から1998年の3年日記。
まさに高校2年の1月から始まり、授業そっちのけで小説を書くことに夢中だった高校3年生の96年。
バイトしながら週一で、大手エステサロンの付属ネイルスクールに通っていた97年。
そしてなぜか旅館に就職してそこそこ楽しくなっちゃった98年。
ギュギュッと濃密な時期が詰まっていました。
96年:おばあ様外泊で帰ってきている、というのは、前年95年10月に2回目のくも膜下出血で緊急手術した祖母が、リハビリと退院後の家族の対応を兼ねてちょいちょい家に戻ってきていたということ。
くも膜下出血は助からない可能性も高いのですが、父方の祖母は2回やって助かっています。
しかし後遺症は大変なんですね。認知症にもなるし。
このあと25年の介護、祖父はじめ父も母も大変でした。
97年:持久走って、高校の体育の話ね。
本屋さんで注文した「ユネスコ世界遺産」は、シリーズ刊行されていた写真集みたいな本で、イタリア版だけ買いました。
1冊3,500円くらいしたので、1冊買うのもやっとだったのですが、冬休みのバイト代が入ったので買ったんですね。
高校生がいくらバイト代が入ったからって世界遺産の本とか買うかね?
1月だからまだ高校生なんですよ。
97年の3月だから、高校卒業したの。
それで当初は池袋にネイルスクールがあったのですが、途中で新宿に移転しまして。
朝6時に家を出て、普通電車や快速を乗り継いで3時間くらいかけてね。
東京出始めた頃は池袋のロフトやリブロで時間をつぶしていました。
(リブロ池袋本店、閉店しちゃって寂しい)
新宿では、タカシマヤの道1本向う側にスクールがあって、授業が終わると東急ハンズ新宿店に寄るのが楽しみでね!
毎週土曜日の3時くらいにハンズに出現しているという。
ロフトもそうですが、バラエティ雑貨を見るのが好きなんです。
98年:目黒へは、ネイルの先生を訪ねて3回くらい行ったかな。
通っていたスクールは新宿にあったのですが、先生のサロンが中目黒だったのです。
東京駅まで特急で行って、有楽町から日比谷線で中目黒まで。当時の中目黒は地味な町だった印象。
マミちゃん→当時月組のトップスター真琴つばささん。この頃はタカラヅカ一色になっていて、真琴つばささんが大好きでした。
星組はヅカに嵌った時から今でも箱推ししています。
↓97年3月、高校卒業したてホヤホヤ。
ギャルという言葉が出始め、アムラーど真ん中世代のハズだったワタクシ、人生で唯一撮ったプリクラが弟とw
米米CLUBが解散ということで、記念の?プリクラがあったのです。
たまたま家族で東京に行った時に、八重洲の地下で発見しました。
もう20年以上前なので顔晒しても問題無し。
当時はまだ、お顔が加工できない時代でした。
(さすがに弟の顔晒したら可哀想なのでここにアップするにあたり加工しました)
誰だコイツ、みたいな。
だってほんと、なんてことない記録みたいなやつだから。
まぁ実際にワタクシがやらかすのは20代ですからね。
この頃なんてカワイイもんです。
読み返してほほえましくなっちゃいました。
オマケ☆
高校の制服のリボンと校章とブレザーのボタン(と、お手紙)
ボタン以外は1学年上の大好きな先輩から、先輩の卒業時にいただいたもの。
お手紙はその後、看護学校に進学した先輩が引っ越し先の住所を知らせてくれたものです。
ワタシが通っていた高校はブレザーでブラウスにリボンだったのですが、先輩が卒業する時にリボンや校章を頂く習慣がありました。
校章は学年ごとに色が違うので、先輩にいただいた校章を実際に着けることはありませんでしたが、リボンは高3の時に1年間使わせていただきました。
ボタンは同じオタク部の男子の先輩が、やはり卒業式の日に「蘭月ちゃん、これあげる」と言って置いていきました。
先輩… いいんすか、ワタシがボタン貰っちゃって…
お二方ともお幸せになっているといいな!
ワタシはもう終活兼ねて家の片づけしていますけど!