こんにちは、蘭月すばるです。

台風19号から1週間経過しましたが、まだ水が引かない地域もあるとか…

停電以前の問題ですよね。

 

台風19号では、浸水で命を落としている方もいらっしゃいます。

今日はね、少し真面目に、台風の時の『避難』のことを書いておきます。

来年また台風が襲来した時に、このブログを誰か読んでくれたらいいなぁと思いながら。

 

↓こういうニュースは本当に読んでいて胸が痛みます。

台風19号 住宅内で4割死亡 車で移動中は3割 避難の遅れ深刻

 

福島県で、80代ご夫婦のお家が浸水し、だんなさんが奥さんの足元で溺死するというショッキングな話もありました。

 

・高齢者が自宅にとどまることの危険性

戦前生まれの方ですと、ご自身の経験から「これくらいならまだ大丈夫」と思ってしまうかもしれません。

私の祖父母もそうでした。

子供の頃は祖父の「こんくれぇならでぇじょぶだっぺ(このくらいなら平気だろう)」という言葉は安心感があったのですが、今は環境が違います。

近年の台風の威力は、昭和・平成時代には約90年を通して数個しかなかった稀な大型台風が1年単位で襲来するようになりました。

 

もう1つ、家屋の老化。

これは19号よりも15号で顕著だったのですが、昭和30年代・40年代の高度経済成長期に建てられたであろうお家が軒並み被害を受けています。

台風以外にも、地震や噴火に耐えてきたはずなので、もう限界!みたいな状態だったのかもしれません。

伊豆大島しかり、南房総しかり。

(32年前に大島の三原山が噴火した時、爆発するたびに火山性地震で家が振動していたことをはっきりと覚えています)

こと南房総は何気に小さい地震も多く、房総半島沖ではスロースリップと呼ばれる地震が一定の周期(5~7年)で起きます。

 

地震のように突然来ると逃げる事も出来ないかもしれませんが、台風は来ることが分かっています。

予報精度もあがり、前日になって急に勢力が衰えるとか、急に進路変更するとか、ある種神頼み的な希望もなくなりました。

3日前くらいから気象庁が警戒を呼び掛けるような会見を開いたら、それはもう確実に甚大災害レベルの台風が襲来するということ。

 

ただ、土砂災害警戒などの避難勧告の出し方が、現行の基準だと「実際に大雨が降って一定の雨量を超えないと」発令されないという欠点があります。

過疎地になればなるほど、避難所までは遠く、車を運転できないと避難できない状態です。

まして大雨の最中に避難勧告が発令されても、足が不自由だったりした場合、最悪夜なら寝ていて防災無線に気づかない方もいらっしゃるでしょう。

 

だからこそ、台風が上陸する日の明るいうちには、避難しておきたいところなんです。

19号は上陸前から大雨が懸念されており、神奈川県でも市町村によっては12日の昼に全域に避難勧告が出た所もあります。

南房総地域の市町村でも同様に、11日夕方には避難所が開設され、その日の夜には定員になって追加で開設した所も。

 

私の祖母はくも膜下出血を2回罹患しており、家の中を移動するのには差し障りは無いけれど、健常者ほどてきぱき歩けませんでした。

しかも脳出血ですから、本人の認知能力は全く無い状態です。

でも、確実に障害があると分かる家族がいると、避難に関しても敏感になります。

普段から生活に支障があるのですから。

 

気を付けなければいけないのは、高齢者だけで住んでいるケース。

独居じゃないにしても、ご高齢の夫婦二人きりとか、80代のご兄弟とかね。

お子さんとかいても一緒に住んでいなくてというパターン。

そして、普段は支障なく生活できてしまっているという状況なんですね。

一緒に住んでいないと、親が元気なイメージしかありませんから、日常のほんの少しの不自由さが見えないとこが多くなります。

いわゆる「親の老い」を実感できないというか。

 

だからね、一緒に暮らしていなくても、台風の進路や勢力を見て、実家が大丈夫かどうかを判断するのは子供の役目なんですよ。

おじいちゃん、おばあちゃんは頑固に避難をしないかもしれないけど、自宅がどれだけ危険かという話をした方がいい。

 

避難の判断の基準は、家族構成やライフステージによって変わります。

1人身なのか、子供がいるのか、高齢者なのか?

避難するべき避難所がどのタイミングで開設されるのか?

 

災害時のリスクを常に意識していないと、いざという時に家族を守れなくなってしまいます。

実際に災害が起こった時に、とっさに判断できる人は少ないと思うんですよ。

 

その反面、自治体の公式の避難所の管理が雑すぎる地域もあります。

避難所なのに発電機もなく停電してしまう。

備蓄の飲料水が消費期限を2年も過ぎている。

予算が下りなくて改修できず、避難所になるはずの小学校の体育館が建物破損で使用できなかった。

毛布すら配布されず、体育館の床で雑魚寝。

これ全部、蘭月の住んでいる地区の話なんですけどね。

 

こういう避難所のイメージが、「避難する」という行動の妨げになっている可能性も自治体は考慮していかないといけない。

ただ、財政の厳しい自治体がそこに予算を割くかというとナゾなんですね。

緊急性があって生命の危険にさらされる災害時の対応こそ、予算をかけて欲しいと思うのですけど。

 

なので、これはもう住民は自分たちが避難する場所を自分たちで用意しておかないといけない。

残念ながら、「公共」という言葉が信頼できなくなっている、そういう時代に入ってきているのではないかと感じています。