「右肩下がり」 |  もともと偏屈男の世迷い言

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【2012-02-14(火)】

 

 今日は冷たい雨になっちゃいましたけどが、あちらこちらでのチョコを手渡す場面が、この日をホンワカとした一日にして呉れたでしょうかねえ。

 

 こういう日はこの偏屈男、男がみな我よりえらく見ゆる日ですから、洟をかんできて今や一人で酒と親しむってことでホンワカすればいいんでしょうかねえ。


 

 最近、うすらぼんやりと「此の頃何か馴染まないなあ」って思う時増えちゃってますかねえ。

 

 自分も含めて今迄生きてきた人達は、未来とか将来とかいうものは全てに於いて、今よりも発展成長を続けて行くものだって前提で「もの」を考えていたみたいですかねえ。

 

 人口にしたって、収入にしたって、社会インフラにしたって、生活様式やレベルにしたって、民度や文化度にしたって、何も失かった時代と比べれば、実際に世の中全体で何だって右肩上がりに伸びてきてたんでしょうねえ。

 

 ですけどが、「栄枯盛衰」「盛者必滅」の理の通り、ここいら辺りからは本気で、未来とか将来とかいうものは右肩下がりになって行くもんなんだって前提で「もの」を考えなきゃいけないんでしょうかねえ。

 

 昔からつい最近迄は、右肩上がりの将来を残すんだからってえことで、その右肩上がりを引き継いできた人達にも将来を考える権利と義務はあったんでしょうかねえ。

 

 代々のその人達がいなくなったっても、残るのはどうせ右肩上がりの将来だって決まってたんでしょうから、その次の世代も右肩上がりを目指せば良かったんでしょうからねえ。

 

 ですけどが、こっから先はどうしてもより良い右肩下がりを目指さなくちゃいけないんだとしたら、右肩上がりの思考でしかもの考えらんない人達には将来を考える権利と義務はあるんでしょうかねえ。

 

 ここで大事なのは、権利は失くっても義務はあるんだろうなんて思ったら大間違いで、「義務の失いところには権利が生じないのと同様に、権利の失いところには義務も生じない」ってしといた方のがスッキリするってことでしょうかねえ。

 

 馴染まないのは、権利も義務も失い人達がこっから先のこと考えてるからみたいですかねえ。

 

 残すものが「どうも右肩下がりの将来らしいよ」とするならば、「将来を考える権利と義務はその右肩下がりの将来に生きなきゃいけない人達にしか失い」って考えといた方のがいいんでしょうかねえ。

 

 極端なこと言えば、今の二十代以下の人達がこっから先考えてやってって呉れりゃあそれでいいじゃんってことなんでしょうかねえ。

 

 自分達の子や孫の世代のこと考えなきゃなんて言ってますけどが、 右肩上がりに栄華を極めた経験しかしたことが失い癖に、その滅んで行くしか失い将来のこと考えられる程の思考回路なんて持ってる訳ゃ失いんでしょうねえ。

 

 「おっさん達はいい世の中見せて貰ったことも結構あるし、こっから先将来がどうなったって文句は言わねえから、ってか言おうと思ったってそん時ゃもういねえし、後は二十代以下の人達で好き勝手にやってお呉んないな」って引き下がるのが筋ってもんでしょうかねえ。