【2012-03-08(木)】
今朝は珍しく何かに魘されて目が覚めたんですけどが、目覚めた後暫らくは、「結構長いこと魘されてた感」残ってたみたいですかねえ。
ですから、「【ウナセラディトキョアアアー】で一日を終える」に擬らえて、「【うなされてきしょうあああー】で一日が始まった」と言ってもいいんでしょうかねえ。
「病気があることで病気になる側の損害」と「病気が失くなった時に、病気があることで繁栄している側の損害」とどっちが大きいんでしょうかねえ。
病院や製薬会社や医療用機器メーカー等を筆頭に、病気があることで飯食ってけるとこや人って数限り失いでしょうかねえ。
「病気が失くなった時のあっち側が蒙る損害」考えたら、「病気があることでこっち側が蒙る損害」なんて多寡が知れてんでしょうかねえ。
だから、病気っていつ迄経っても失くなっちゃいけないんでしょうかねえ。
政治が政治課題を解決できないのは、「解決されないで損害蒙る側」よりも「解決されて損害蒙る側」の方のが多いからなんでしょうかねえ。
悪いことする人が失くならないのは、「悪いことする人がいて損害蒙る側」よりも「悪いことする人がいなくて損害蒙る側」の方のが多いからなんでしょうかねえ。
「世の中全体の損得勘定のバランスで考えれば考える程に、個人一人一人に取っての世の中が良くなる訳は失い」ってとこ迄はもう行き着いたんでしょうかねえ。
「できるだけ社会全体の損害を少なくする方を選ぶってことは、個人一人一人に取ってみれば社会がどんどん悪くなっていくってことだ」ってのはもう実証できたんでしょうかねえ。
ってえこととするならば、「社会全体が損害の大きい方に向かっていけば、個人一人一人に取っては社会がどんどん良くなっていく」ってことでいいんでしょうかねえ。
半信半疑にならざるを得ませんけどが、まだ一遍もそれやってないんでしょうから、ここらで試しに何れかの分野でそれやってみる価値あるでしょうかねえ。
「どうせどっち転んでも悪くなるので元々」なんでしょうし、それに何より「これ以上悪くなるなんてことどうも想像し辛い」ってタイミングになってるってえことには違い失いんでしょうしねえ。