「人助けの作法」 |  もともと偏屈男の世迷い言

 もともと偏屈男の世迷い言

     当ブログは35歳以下の方にはお勧めできるものではありません。

   勿論閲覧を拒否するなんて勿体失いことも致しませんけどが。

   書かれているものは本当に愚にも付かないことなので精々笑って馬鹿にするくらいで堪えといて下さいまし。

【2012-01-12(木)】

 

 今日はこの冬一番の冷え込みとなりましたが、皆が寒さになど負けずに元気であることを希望します。

 

 そして去年の大災害から調度10ヶ月が過ぎたこの日、被災された人々の身の回りに少しでも良きことが増えて行くようにと願っています。

 

 又被災地にて折々にボランティア活動を実践している人々に対し、心からの労いと感謝の意を表したいと思います。

 

 ボランティア活動に励んで下さっている方達には本当に頭の下がる思いですよねえ。

 

 寒さも相当に厳しくなっていると思いますけどが、どうか体に気を付けて頑張って下さいますようにと応援してるんですよねえ。


 

 それに付けてもこの偏屈男、メディアの伝え方が悪いのか此方の受け取り方が悪いのか、ほんの少し違和感は感じてますかねえ。

 

 「ボランティア活動とは一種の人助けなんだろうなあ」って思い込んでるんですけどが、その所為か、メディアは「人助けの作法」ってえもんを若しや見逃し気味にしてはしまいかと心配なんですよねえ。


 

 「人助け」とは、「困っている人」や「気の毒な人」を見たり聞いたりした時に、「何かの助け」になって差し上げようすることなんでしょうかねえ。

 

 「何かの助け」と言うからには、それは文字通り「四六時中いつもできる全てが揃った完全な助け」では失いってことなんでしょうよねえ。

 

 ってことは、「人助け」をしようとする人は、先ず「いつもで失く、全部じゃ失い」ってことを済まないと思うってとこから始めなくちゃいけないんでしょうかねえ。

 

 「人助けの作法」ってえのは言ってみれば、気持ちの中で「いつもで失くって申し訳ない、全部じゃ失くって済まない」って配分が七割くらいで、残り三割くらいが「それでも何かの助けになりたい」っていう心の持ち様なんでしょうかねえ。

 

 「普段何もして上げられなくて御免なさいね」とか「こんなことぐらいしかできないけど堪忍して下さいね」とかいう気持ちが最初に伝わるからこそ、次の「それでも何かのお役に立たせて下さいね」という気持ちが受け入れられ易くなるってことなんでしょうかねえ。

 

 そうすると、助けて貰った方も「そこまで気にしなくってもいいんだよ、あんたも他に色々忙しいんだろうし」とか「もうもうそれだけで充分だよ、これだけするにはあんたも大変だっただろうに」とかいう気持ちが七割くらい、そして「それにしてもどうもありがとうね」という気持ちが三割くらいで済んで、結果気楽に考えて頂けるってことなんでしょうかねえ。

 

 折角縁あって助けたり助けられたりする間柄になるんでしょうから、矢っ張りお互い昔っからの「人助けの作法」に則ったやり方が一番落ち着くってことなんでしょうかねえ。


 

 メディアからはどうもその辺のところが上手く伝わってこないんで、これからの長丁場考えると、老爺心乍らお互い持つかなあって心配しちゃいますかねえ。

 

 今迄どうも、真っ向勝負で「助けに来ました」っていう場面か、100%で「ありがたいことです」って場面かのどっちかしか、切り取って呉れて失いような気するんですけどがねえ。