「目線」 |  もともと偏屈男の世迷い言

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【2011-12-14(水)③】

 

 昔「目蒲線」と言ってた路線が、分かれてしまってから、もう何年になりますかねえ。

 

 あれはもう十年以上も前、朧ろ気乍ら、世紀が変わってからのことだったでしょうかねえ。

 

 「目線」と「蒲線」に分かれるかと思っていたら、何と「目黒線」と「多摩川線」になっちゃいましたかねえ。

 

 これじゃ「蒲田」の立つ瀬が失いってもんじゃありませんかねえ。

 

 そう言えば、一口に「多摩川線」って言っても、それは東急と西武で二つがあるみたいですかねえ。


 

 それと比べる訳じゃありませんけどが、「目線」には少なくとも六つはあるように感じられますかねえ。

 

 1.上から目線  2.下から目線  3.横から目線  4.斜めから目線  5.後ろから目線  6.前から目線

 

 大体がこの世の中何でも、前から後ろから横から斜めから上から下からで「いっちょまい」って考えられてるみたいですかねえ。

 

 それにあっちの方だって、概ねそれで満足して頂けちゃうみたいですしねえ。

 

 それぞれの「目線」って、実際どう受け止められるんでしょうかねえ。

 

 1.上から目線  は先ず素直に受け付けては貰えないでしょうかね

            え。

 

 2.下から目線  は真と面には相手にして貰えないでしょうかねえ。

 

 3.横から目線  は抑々が信用されないでしょうかねえ。

 

 4.斜めから目線 は好悪それぞれの受け取られ方されるでしょうか

             ねえ。

 

 5.後ろから目線 は唯単に気味悪がられるだけでしょうかねえ。

 

 6.前から目線 はこれだけが真摯に向き合って貰えるんでしょうか

           ねえ。

 

 お互いが常に「前から目線」を送り合うということが、人間対人間の関係では一等大事なことなんでしょうかねえ。

 

 そして、それに若しひょっとかして付け加えることがあるとすれば、それこそが所謂「目線の届け方」なんでしょうかねえ。


 

 体の中で「目・耳・口・鼻」が揃っているところを「お顔」と呼んでますけどが、他のものは二つでワンセットなのに「口」だけは一つっ切りしかないんですよねえ。

 

 あっ、「鼻」も一つじゃ失いかと思われ勝ちですけどが、あれはあれで空いてる穴からして二つと数えても間違いじゃ失いとは思うんですけどがねえ。

 

 それは扨て置き、何故「口」が一つなのかと考えると、なまじ二つもあったら食べ過ぎちゃうでしょうし、それより何より喋り過ぎちゃうからなんでしょうかねえ。

 

 「口」が元来二つでワンセットである筈のものを一つにされた代わりに、「目」には見るということ以外にもう一つの働きがそれとなく備えられたんでしょうかねえ。

 

 「目は口ほどにものを言い」って言葉が生まれた由縁って、案外それかも知れませんかねえ。

 

 「目は口ほどにものを喰い」とは聞いたことありませんから、恐らくは食べる量は一つの「口」で賄える手筈になってるんでしょうねえ。

 

 ですけどが、喋る量って考えたならばやっぱ一つの「口」じゃ足んないだろうとは思われれてたんでしょうかねえ。

 

 けどが、「口」が二つだったら喋り過ぎになっちゃうってことは必定、而もそれに併せて食べ過ぎも大いに心配だし、それならいっそここは「目」の奴に喋る方だけ少々手伝わせるようにしとくかってことになったんでしょうかねえ。


 

 そういう風に考えると、扨て「目線」が何をして呉れようとしているのかと言えば、「口」から出た言葉では伝えきれない言外の思いをもう一つの「口」として伝えようとしてるんでしょうかねえ。

 

 と言うことは「口」から出る言葉が喋り方次第で受け取られ方が違って来るように、「目線」も届け方次第では伝わり方に差異が生じてしまうってことなんでしょうかねえ。

 

 届け方としては真正面からの「真っ直ぐな目線」もいいかとも思いますけどが、若しひょっとかしてそれを上上品として為そうとするならば、天っ辺真正面からの「山なりの目線」というものが一番合ってるように思えますかねえ。

 言葉がそうであるように、「目線」というものも自分の目から相手の目にピンと張りつめた直線で届けるのでは失く、少しく弛るみを持たせて遊びを備えた「山なり」で届けるのがいいんでしょうかねえ。