「ご飯」の話なんでしょうかねえ。 |  もともと偏屈男の世迷い言

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【2011-11-13(日)】

 

 「紫式部」と「清少納言」、あなたはどっち派?

 

 ブログネタになってるようなテーマですけどがねえ。

 

 今回はそうでは失くて「小野小町」と「あきたこまち」、じゃ失くて「コシヒカリ」と「あきたこまち」なんですよねえ。

 

 この偏屈男、断然「あきたこまち」派なんですよねえ。


 

 よく「ご飯だけでおかずはいらないくらい美味しい」とか、「ご飯の美味しさが凝縮されています」とか、「銀シャリの旨さが初めて分かりました」とか言われるんですよねえ。

 

 けどが、この偏屈男ここ迄長年の間生きてきて、心残りがあるとすれば唯一つ、「ご飯」だけを食べただけでそんな感慨を抱いたことが失いってことなんですよねえ。

 

 子供の頃では不味いお米しか失かったような記憶なんですよねえ。

 

 今みたいに品種改良が進んでいなかったのと、精米技術が発達していなかったのと、所謂「外米」にも頼っていたからなのでしょうかねえ。

 

 今の「無洗米」なんかもう夢のような話で、不味いお米の上に虫やごみや何かの糞等が混じっていたから、研いでも研いでも切りが失かったくらいなんですよねえ。

 

 それだからなのか分かりませんけどが、「ご飯」の食べ方はもう、一つのスタイルが確立されていたんですよねえ。

 

 それは即ち「ご飯とおかずを一緒くたにして食べる」って方法なんですよねえ。

 

 「ご飯」は「ご飯」で単独に味わい、次に「おかず」は「おかず」で単独に味わうっていう交互摂取の方法は取り入れられて失かったんですよねえ。

 

 口の中で「ご飯」と「おかず」がごちゃ混ぜになる醍醐味こそが、食事の原点なのだと思い込んできてたんですよねえ。

 

 けどが、長く生きてると、「ご飯」を残さず食べるのに「おかず」は残すって人に出っ喰わすことが稀にあるんですよねえ。

 

 そういう人は決まって「ご飯」は「ご飯」でと、そして「おかず」は「おかず」でと食べ分けてらっしゃるんですよねえ。

 

 不思議に思って、「何でおかずを残すんですか」って聞いたら、「だってご飯は食べ切っちゃったから」って言うんですよねえ。

 

 確かに替り番こに食べるということを旨とすれば、「ご飯」が失くなった時点で「おかず」は必要の失いものなんでしょうねえ。

 

 そういう人達の為に、「牛丼に対する牛皿定食」とか「中華丼に対する八宝菜定食」とか「カレーライスに対するライスカレー」とかがあるんでしょうかねえ。 (「お茶漬け」とか「雑炊」とか「チャーハン」なんかのことはこの際無視してもいいんでしょうねえ)

 

 極く極く感覚的なんですけどが、そういう人って米どころで有名な地方出身の40代半ば以下の方に多く見受けられるみたいなんですよねえ。

 

 品種改良も進み、精米技術も飛躍的に発達し、品質管理も徹底されるようになってから、自分のところでできたお米で炊いた「ご飯」の味が染み付いているんでしょうかねえ。

 

 最近になって、遅ればせ乍らそういう食べ方をしてみようって試している最中なんですよねえ。

 

 そして、今のところそれに適するお米が「あきたこまち」なんですよねえ。

 

 けどが、煙草で味蕾が馬鹿になってますから、本当の「ご飯」の味覚は得られていないのかも知れませんかねえ。

 

 「ご飯」と「おかず」一緒に食べる、別々に食べる、貴方はどっち派?


 

 あっそうそう、序でですけどが、この偏屈男どちらかと言えば「清少納言」派なんでしょうかねえ。