「女は強し、然れど母は」 |  もともと偏屈男の世迷い言

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【2011-11-10(木)①】

 

 空気が冷んやりとしてきましたねえ、と思ったら明日は雨だそうですってねえ。

 

 好みから言えば、時雨くらいならいいんですけどが、まだ少しく時季が早過ぎますかねえ。


 

 「女は弱し、然れど母は強し」

 

 昭和30年代くらい迄は、よく耳にしたもんですよねえ。

 

 戦後でも男尊女卑の考えはまだ根強く残っていましたから、女が強くなれるのは母という立場の時だけしか許されていなかったんでしょうかねえ。


 

 「戦後強くなったのは、女と靴下だ」

 

 昭和30年代も後半に入ると、どうかすると女性に対して男がタジタジとなるような場面が増えてきたんですよねえ。

 

 男女同権とか女性の自立とか社会参加への変化といったものと、靴下も質が良くなり丈夫になって余んまり穴が空かなくなったのに重ね合わせた、素朴な感想だったんでしょうかねえ。

 

 そう言えば、この後くらいから「ウーマンリブ」の活動が盛んになってったんでしたっけかねえ。


 

 この偏屈男、幼少期から思春期を経て成人するまでの間、女性がどんどん強くなっていくのを目撃してきたんですよねえ。

 

 けどがそれは、男性に対しての「弱い立場」から精々「同等な立場」までくらいだったような気がするんですよねえ。

 

 確かに「女性上位」という言葉はあったんですが、そこはそれ、あっちの方の意味合いの方がまだ勝っていたんですよねえ。

 

 ともあれ、その後どんどんと進歩し続けて、今や完膚失きまでにと言うよりも、寧ろコッテンパンに男子が熨されてますもんねえ。

 

 基本的には好きですよねえ、こういう世の中。

 

 女が弱い世の中なんてあっていい筈もありませんし、男も頑張り次第では失地回復して五分に持ち込めそうな余地を残している状態がいいですよねえ。

 

 唯、ちょっとだけ心配な点があるとすれば、「女は強し、然れど母は」がどうなっているのかなあっていうことと、その当然の帰結としての「男は弱し、然れど父は」がどうなってるのかなあってとこなんですけどがねえ。