【2011-09-04(日)②】
小学生の頃、「国語」の教科書だったか「道徳」の教科書だったか、「テレビ憲法」って題名の作文があったんですよねえ。
内容はと言うと、テレビが家庭に普及し始めた頃の或る家庭で、テレビを見る作法を確立しなきゃいけないと子供が考えるんですよねえ。
チャンネル争そいの問題やら、見る時間数とか時間帯やら、見る番組やら、要するに家庭内でテレビを見ることに依る悪弊とか対立とかを解消する為に決まりを作りましたってことなんですよねえ。
それを作文にしたものが「テレビ憲法」で、多分「つづりかたコンクール」で1位になった作文でしたかねえ。
あっ、昔は作文のことを「つづりかた」って言って、漢字で書くと「綴方」なんですよねえ。
有名なのは「綴方教室」で映画やテレビになってるんですけどが、どっちかと言うとこの偏屈男の好みは「痴楽綴り方狂室」の方なんですよねえ。
余分なことは扨て置き、それを道徳心を養なう教材に取り入れたらしいんですけどが、如何せんこの偏屈男の住んでいたところではその当時テレビのある家庭の子供はクラスの2,3割くらいだったんですよねえ。
意味が分からないんですよねえ、テレビってもんは憲法を作らなくちゃいけない程の大変なものだって。
唯この章で意図されているものは、民主主義とか憲法とかテレビとラジオの違い等を含んでいるのかなあ、とは思ったんでしょうかねえ。
同じくその頃には、道徳の時間に「テレビとラジオはどっちがためになるか」って議題で討論してたんですよねえ。
まだテレビは人をどんどんと馬鹿にしていくって信じられてた時代だったんですよねえ、やっかみも入ってたんでしょうかねえ。
ラジオ派とテレビ派に別れるんですけどが、7対3でラジオ派なんですよねえ、だってテレビのいいとこ知ってるのは2,3割しかいないんですからねえ。
先生も困ったんでしょうけども、その時まとめた結論は「テレビよりラジオの方が想像力を養える、ラジオよりテレビの方が正確に伝えられる、両方共いい点がありますからそのいい点を両方から学びましょうね」とかだったんじゃ失かったかなあ。
道徳の時間に「テレビとラジオはどっちがためになるか」とか「テレビ憲法」とかで考えさせられた子供が、50年も経つとどうなっているのかと思い返してみたんですよねえ。
そうしたらホントに、馬鹿になってるし、想像力は失くなってきてるし、テレビが正確なものだと信じ込んじゃってるんですよねえ。
それより何より、とどの詰まりはテレビもラジオも同類のものなんだと分からなかった頃がうぶ過ぎっちゃってますかねえ。
今だったら、「テレビもラジオもどっちもだめになってる」って言えるのになあ、「見る方じゃ失くて見せる方が憲法作れよ」って言えるんですけどがねえ。