【2011-07-12(火)】
この偏屈男、未だ嘗て恩返しというものをしたことがないという恥多き人間なんですよねえ、恩人と思える方には数限りなくお会いしてるんですけどがねえ。
笠置さんもそんな方だったんですよねえ、年は30以上も上だったんですけどが、職場の中でどういう訳か一番ウマが合った人だったんですよねえ。
熱狂的な某球団ファンの方で、某球団が遠征してくるといつも、人の少ない方のスタンドでの観戦に付き合わされたんですよねえ。
終戦時のポツダム少尉で、年に1回軍恩が支給される日には、決まって若い仲間に御馳走をして、それを使い果たすって決めてたような人だったんですよねえ。
「早乙さんや、あんたあの店に幾らツケを貯めとるんじゃ」
会社に届く請求書も目にしてたんでしょうし、電話での遣り取りも聞こえてたんでしょうかねえ、ある時、人気のないのを見計らって笠置さんが聞いてきたんですよねえ。
「まだ50万には届いてないんですけどが、流石に最近厳しくなってますよねえ攻勢が」
「あんたあこれを続けとるとどんどんあの店のツケが膨らんでしまうけん、暢ん気に構えとると最後は綺麗にする為にゃ退職金充てにゃならんようになるんじゃよ」
「ほんとですよねえ悪女の深情けってよく言ったもんですよねえ、借金あるが為に却って顔出さないと何か不義理しちゃうような気しちゃうんですよねえ」
「儂ゃあんたが好きじゃけんお節介言うんじゃよ、そのツケ一遍綺麗にしてみんさいや用立てて上げるけん」
そんな人いますか、馬鹿な奴の酒場の借金立て替えて呉れるなんて人、これにゃあ参りましたよねえ流石のこの偏屈男も。
日頃から、皆んなは気付いてないみたいだけどが実はこの人凄い人なんだよって思ってたのは間違いないんですよねえ、ですけどが何でそこ迄できるんだろうかって不思議に思ったのを今でも思い出すんですよねえ。
結局、笠置さんが用意して呉れた現金でニコニコ払って、お店とはその後もお互いいい関係でいられて、笠置さんには給料日ごとの月賦返済で2年くらい甘えさせて戴いたんですよねえ。
こんなお話を聞いた方はそれがこの偏屈男が恩人だと思う理由かと思われるかも知れないんですけどが、実はそうじゃないんですよねえ、勿論このことも笠置さんに受けた大恩なんですけどがねえ。
笠置さんって人は誰でもどんな人でも呼び捨てにしない人だったんですよねえ、年下だろうが後輩だろうが立場が下だろうが未熟な人間だろうが、どんな人に対してもさん付けで呼ぶか愛称で呼ぶかしてたんですよねえ。
この偏屈男も主義としては、社会の中では人を呼ぶ時には呼び捨てにすべきではないと考えていたんですよねえ、学生時代のクラブや仲間の世界はご勝手にどうぞだけどが、一社会人同士であれば立場の上下はあってもお互いが同等であると考えるのを潔いとする気持ちだったんですよねえ。
30以上も年が上の先輩は何時でも何処でも誰でも決して人を呼び捨てにしたことはなかったんですよねえ、この偏屈男にも仕事中は早乙女さんとか早乙さんでプライベートでは早乙ちゃんでしたよねえ。
笠置さんて人は面白い人で、地位が高い人や自分で自分が偉いと思ってる人の前で殊更に若い奴や目下の者に○○さんって言うんですよねえ、而も一番年嵩なのは自分だって知っててなんですよねえ。
お前さんにもさん付けするけんが、こっちのさん付けしとるのも儂にゃ同格なんよ、お前さんもこの若いのも一緒なんじゃい、それを何でお前さんこの若いのを呼び捨てにしとるんねって意地を見せてたみたいなんですよねえ。
そんな人を間近に見てると、人を呼び捨てにしている人間の馬鹿さ加減に気付くようになるんですよねえ、そのことに気付かせて貰ったってことが笠置さんに受けた一番の恩なんですよねえ。
けどがねえ、恩返しができてないなあって思う理由ってのは「人を呼び捨てにしない人間でも馬鹿な人間はいちゃいましたかねえ、御免なさい笠置さん」って謝るしかないってことなんですよねえ、合掌。