何で、どうして、何故 |  もともと偏屈男の世迷い言

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【2011-07-01(金)】

 

 子供の頃から、不思議に思うことや分らないことがあると、決まってこう問いかけるんだそうですってねえ。

 

 「何で?」そしてその問い掛けに対する答えを聞いても、更に次に「どうして?」と問い掛けていくんだそうですってねえ。

 

 この癖は終生変わることはないと言われているらしいんですよねえ、疑問に思うことは「何で?」と「どうして?」の2段階の問い掛けをしなければ納得できないんでしょうかねえ。

 

 いや実は、その二つの答えを得ることができたとしてもまだ次に「何故?」って問い掛けたいんでしょうかねえ、だけれども三つ目では流石に鬱陶しがられて口籠らざるを得ないんでしょうかねえ。


 

 「何で行列してるの?」

 

 「美味しいからだろ」

 

 「どうして行列してるの?」

 

 「並ばないと喰えないからだろ」

 

 「んんんっそれで、な・・・」

 

 「何で?もどうして?も一緒なんだよ」

 

 

 知りたいのは行列に並んでいる訳なんでしょうかねえ、でも「美味しいから」という答えは期待している答えではなかったから再度問い掛けたんでしょうかねえ、そして多分「並ばないと喰えないからだろ」という答えも期待している答えではないんでしょうかねえ。

 

 期待というよりも予期或いは想定と言った方がいいんでしょうか、それとも「そういう意味じゃなくて」と言った方がいいんでしょうかねえ。

 

 「美味しい」のは分った「美味しいから並ばないと食べられないから」というのも分った、じゃあ並んでる訳は何なのかが聞きたいんですかねえ初めから。

 

 そこで再々度問いかけを試みようとするんですけどが、問い掛けられた方は煩わしくなって何度も同じ質問をするんじゃないと拒むことになるんでしょうよねえ。

 

 けどが、並んで喰おうとしている訳は答えて貰ってはいないんでしょうかねえ。

 

 例えその答えが、「暇だからだよ」でも「空腹だからだよ」でも「どうしても喰いたいからだよ」でも何でもいいんでしょうかねえ。

 

 殆どの場合3番目の問いかけはできないんですよねえ、稀にできたとしても返ってくるのはまたしても問い掛けたい本質に迫る答えではなく、当然の如く4番目の問いかけを発することなぞ皆無なんでしょうかねえ。

 

 「美味しいから並ばないと喰えないから、どうしても喰いたければ並ぶしかないから並んでるんだよ」という答えが出たその先の疑問を解きたいので、最初の「なんで?」があったんでしょうかねえ。

 

 「美味しい」⇒「並ばないと喰えない」⇒「どうしても喰いたい」=「だから並んでいる」ということは理解ができるんでしょうかねえ、その上で、じゃあ何故並んで迄そうするのか余っ程深い訳でもあるんだろうかとそこが聞きたいんでしょうかねえ。

 

 並ぶ前の選択肢は多分色々とあったに違いない、けどが味の点・時間の点・欲求度の点でそれぞれの度合いが複雑に組み合わされてそうなったものだろうから、それは何故かってことが知りたいんでしょうかねえ。

 

 余所じゃ駄目で今じゃなくちゃ駄目でおまけにそれが我慢しちゃ駄目なのは、何故なのかを知りたいだけなんでしょうかねえ。


 

 けどがねえそんなの分る訳ないんでしょうよねえ、分る訳ないものを分りたかったら人に聞くなんてことをせずに自分で考えるしかないんでしょうよねえ、自分が満足できる答えを得る迄一人で考えて考えて考え抜くしかないんでしょうよねえ、並ぶ並ばないっていうのは本人のお好きなようにとしても。

 

 そうして、その結果そういう人の大多数が人間を辞めたくなってしまい、残りのほんの一握りのものから更に零れ落ちた微量なものの分子くらいに相当する人というのが、後に天才と称されるような人間になるんでしょうかねえ。

 

 そう言えば、だからと言って並んでる人の中から天才と呼ばれる人が生まれないなんてことは絶対にないんですよねえ、あの中からも絶対に生まれる筈なんだよなあ「何故か?」の答え知りたくて並んでいる人が必ずいる訳だもんなあ。