「生まれ」や「育ち」よりも「生き方」なんだろうなあ。 |  もともと偏屈男の世迷い言

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【2011-06-23(木)】

 

 酒は一日に二杯としておけばよかったものを七杯も八杯も飲んじゃってたからなあ、カラオケなんて十八番一つじゃ物足りなくて何曲も歌っちゃってたし、涙や愚痴の相手なんか当の昔にいなくなっちゃったし、目立たぬとかはしゃがぬとかは通り越して浮かれ捲っちゃってたしなあ、ほろ酔いどころか何時も泥酔状態だったしなあ、それにシラケるんだったらこりゃあもう専売特許だしなあ、決定的なのは一年一度酔っ払ってない日の方があったかどうかって口なんだもんなあ。

 

 矢沢でない方のエイちゃんの言う通りにしとけばせめて「時代遅れの男」になれてたものを、今や立派な「時代錯誤の男」になっちゃいましたかねえ、彼の様にどうしてもなりたいと願ってた訳ではないんですけどがねえ、ただ唯「生き方」が悪かっただけのことなんですけどがねえ。


 

 「生き方」ってほんとに大事なんでしょうよねえ、人には付き物の如くよく言われるところの「生まれ」や「育ち」なんかよりももっと重要なんでしょうよねえ。

 

 この偏屈男、ご本人が自分で変えられないものでその人を判断するなんてことできないんですよねえ、「生まれ」とか「育ち」とかなんかはその最たるものなんでそんなものを判断基準にはどうもできないんですよねえ、けどが「生き方」という変えられるものを基準にしてならば容赦なく人を判断しちゃうんですよねえ、自分の生き方悪かったよなあなんて思ってる傍からなんともはあ人を判断する基準は「生き方」なんだなんて言っちゃってもいいのかなあって思ってはいるんですけどがねえ。

 

 その人の「生き方」なんてのは変えようと思えばナンボでも変えられるんでしょうよねえ、そしてその人の「生き方」っていうのはその人の「人間としての質(たち)」を決定付けるもんだと思えちゃうんですよねえ、いい生き方をしてる人ってのは質がいいし、悪い生き方をしている人ってのはこりゃあもう質悪いことこの上ないらしいんですよねえ。

 

 だから質の悪い人に対しては徹底的に憎み切っちゃいますよねえ、たかが風の癖にあの訳もなく横暴さ丸出しで強く吹いてるのに対するのと同様にありったけの呪いを込めて憎んじゃいますよねえ、尤も質の悪い自分を憎む時にだけは呪いは込めてませんけどがねえ。

 

 「生まれ」とか「育ち」とかで人を判断するってことも一つの方法としてそれもありなんでしょうけどが、「生き方」が悪くてなった質の悪い人間程困ったもんはないそうなんですよねえ、そして質が悪いってのは決して「生まれ」とか「育ち」とかに因るもんじゃあなくって、結局全ては「生き方」に起因するもんなんだそうですってねえ、この辺「生まれ」と「育ち」には関係なく唯ひたすらに「生き方」が悪かった偏屈男にも充分理解ができるんですよねえ。


 

 誰かをどんな人かと判断するような時には、その人が「質のいい人間」か「質の悪い人間」かを見抜ける程の人に自分がなってないといけないんでしょうかねえ、そうじゃないと結局「生まれ」とか「育ち」とかでないと人を判断するということができないってことになっちゃうんでしょうかねえ。

 

 唯ひたすらに「生き方」が悪かったお蔭で質が悪くなってるこの偏屈男が言うんじゃ、矢っ張り説得力ないんだろうなあって感じてはいるんですけどがねえ。