イキガルについての教え。 |  もともと偏屈男の世迷い言

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【2011-05-19(木)】

 

 東映の岡田さんが亡くなられたそうでご冥福をお祈り致します、けどがこの偏屈男にとって東映の社長と言えば何と言ってもあのチョビ髭の大川博さんですねえ。

 

 矢っ張り、「時代劇は東映」って言ってた頃から馴染んでいたせいかも知れないですかねえ、それにご本家退屈の御大も千恵蔵さんと並んで重役でしたしねえ。

 

 でも、時代劇が明治時代以前のものから明治大正昭和をモチーフにと変わらざるを得ないって過渡期からは、岡田さんは大変に大きな力を発揮されたそうですねえ。

 

 そうそう任侠路線・ヤクザもの路線と言えば俊藤さんも欠かせないお方だそうですねえ。


 

 東映映画研究家の某氏が或る時に「イキガル」について教えて呉れたんですよねえ、東映映画を教材にして、もう何年も前のことなんですが。

 

 先ず「イキブル」と「イキガル」の違いから説明して呉れたんですよねえ、漢字だと「粋振る」と「意気がる」になるんですけどが。

 

 その「粋振る」と「意気がる」を意味の解らないアンちゃん達がごちゃ混ぜに使い始めちゃったので、意気がるでも粋がるでもどっちゃでも同んなしになっちゃったんだということなんですよねえ。


 

 よく通でもない人が通人の真似をしてるのを指して、「通振る」とか「通振ってる」とか言われちゃうことがあるそうです。

 

 それと同じ様に、粋でもない人が粋人の真似をしてるのを、粋でもない癖に粋の振りをしているという意味で「粋振る」とか「粋振ってる」とか言われるのだそうです。

 

 べらんめえの御姐さんが「客だ客だと笑わせやがる、粋振るんじゃないよ」とか言う使われ方が一般的だったそうです。


 

 「意気がる」の意気はもともと男意気ということなんだそうで、意気地とか意気に感ずとかの意気だそうです、正確には「男意気がる」と言って、「がる」はその力もない癖になりたがるとかしたがるの「がる」なんだそうです。

 

 本来は、身の程知らずや分を辧えぬ者がしゃしゃり出て男意気になりたがってる時に、それを嗜める台詞だそうです。

 

 健さんとか鶴田のお兄ちゃんとか極道の富さんなんかが、まだ貫目も足りない若い弘樹や辰夫や新伍や稔侍達に、まだいっぱしの男意気の顔じゃねえよ引っ込んでなっていう意味を込めて「意気がるんじゃねえ」という使われ方が一般的だったようです。


 

 このように考えてみれば、確かに「意気」は振りをするもんではなくなりたがるんもんでしょうし、「粋」は振りはできるんでしょうけどなりたがってなれるもんでもないんでしょうねえ。

 

 東映映画研究家としては、「意気がる」という言葉は通用しても「粋がる」という言葉は適切ではない、「粋振る」とはよく使われてはいるのだがという教えだったんですよねえ。

 

 「意気がる」と「粋振る」は、なりたがる或いは振りをするという点では一見非常に似通っているように見えますが、もともと「意気」と「粋」とはその持っている意味合いが違うのだということを伝えたかったのではと思うんですよねえ。(蛇足ですがこの偏屈男の考える「粋」についての詳細は以前のブログを参照して下さいまし)


 

 以上がこの偏屈男が「イキガル」について教えを受けた内容なんですけどが、何故その若いアンちゃん達の乱暴な使い方が主流になっていったのかと聞いたんですよねえ。

 

 日活ファンの女の子目当てで若いアンちゃん達も日活映画にのめり込んでいき、イカシテルとかスカシテルとかの世界が幅を利かせるようになった為なんだそうですってねえ。

 

 確かにデートで東映より日活のがイカシテルもんなあ、東映館なんて客の90%以上は男だったし、若いカップルなんて見掛けたことなかったもんなあ。

 

 この偏屈男も、ここはスカシタ真似なんてしちゃおうかななんて思ったら日活館行ってただろうしなあ。


 

 其れに付けても、奴等が東映で「べらんめえ芸者」や「侠客伝」ものなんかを見て呉れてさえいれば簡単に解ることなんだがなあと、某氏が寂しそうに微笑んでいたのを思い出すんですよねえ。

 

 しかしあの頃の東映の映画って勉強になってますよねえ人生送っていく上での、改めて敬意を表さなくてはいけないなあと思ってるんですよねえ、おーっと不粋になっちゃいましたよねえ、御免なさいねえ。