【2011-05-14(土)】
道を歩いていて、道路に白いものが点々と、上を見上げると電線、カラスの糞なんですよねえ、ですからなるべく電線の下は歩かないようにしてるんですよねえ、それでも今迄生きてきて2回服に直撃されたことあるんですよねえ。
これを運が悪いと考えるか、それともまだまだ運がいいと捉えるのか、こればっかりはデータ持ち合わせていないんだよなあ、是非これについて研究されている方々に聞いてみたいんだよなあ。
人が自分の持っている感情の中で一番我慢ができない感情とは、「恥」というものなんじゃないのかなあ、喜怒哀楽の哀も、そのパワーが強烈なものだと、我慢しかねる状態に陥ることもあるかも知れないけどが、人間辞めたくなる程って滅多にないような気がするよなあ。
生まれてから死ぬまで、恥の積み重ねをしながら生きている人間にとって、人に一番知られたくないのは、自分が自分で自分のことを恥ずかしく思ってるみたいって他人に気取られることなんじゃないのかなあ。
ですから、ひた隠しに隠すんですよねえ、実は恥ずかしい、恥ずかしく思っている、恥じている、恥辱を感じてる、辱めを受けたと思っているという感情を。
恥に対して段々と慣れていくというか、免疫ができていくというか、面の皮を厚くしていくというか、兎に角厚顔無恥なるものへとうまく脱皮できつつ人生を過ごしている人は、多分考えないだろうことの一つが、自殺なんじゃないんだろうかなあ。
生き恥を曝したくない、生きて辱めを受けたくない、自分の恥ずかしいところを知られたら生きていられない、恥ずべき人間だと思われながら人生やってゆけない、そんだったらいっそのこと死んじゃった方がましだって思うんじゃないのかなあ、恥ずかしいをもう隠せないって。
確かに恥という概念に関係なく、病的で発作的なものもない訳ではないし、哀しみの余りとか、生きる気力が萎えてとかも大きな原因と言えるけどが、正常で健康な精神の持ち主が選択した場合は、「恥」というものに取りつかれてしまった結果というのが論理的な解明の仕方じゃないんだろうかなあ。
純文学の作家でも自殺する人は割合と多いように感じるのなぜかなあと考えたことあるんですよねえ、もともとあの人達は、作品の中に自分の恥ずかしい部分を書かなきゃ気が済まない人種だった筈ですよねえ。
それがいつかある時、その恥ずかしいところを曝していくのに耐えられなくなっちゃって、ああなんてことしてきたんだもう死ななきゃって思っちゃうパターンが一番多いような気がするんだよなあ。
だから昔は、でないと最後にはって気持ち言外に込めて、自分の恥を売り物にして生きるような作家などというものに決してなってはいけないって言われたもんなんですよねえ。
こう考えてみると、自殺しないで済む人になるにはという答えが見えてくるような気がするよなあ、先ず恥を掻かないってことが一番の条件だけどが、一生恥かかないで人生終える人なんかいないだろうなあ。
まっ、できるだけ少なくするってことでこの場は手ぇ打っといて、次に、恥を恥とも思わぬ強靭な神経を培うことに一生を捧げるってことだろうなあ。
兎に角、恥さえ感じなければ人間何をやっても生きていけるんだろうからなあ、あと一つ重要なのは、自分よりもっと恥ずかしい奴を常日頃から見付けておくことなんだろうなあ。
彼奴よりはまだましだと思えるからこそ、人間生きていけるもんなんじゃないのかなあ、恥も外聞もなく、おおーっ恥ずかしい。