刑法の時間 |  もともと偏屈男の世迷い言

 もともと偏屈男の世迷い言

     当ブログは35歳以下の方にはお勧めできるものではありません。

   勿論閲覧を拒否するなんて勿体失いことも致しませんけどが。

   書かれているものは本当に愚にも付かないことなので精々笑って馬鹿にするくらいで堪えといて下さいまし。

【2011-04-21(木)②】

 

 全国の皆さんの暖かい善意で義捐金が多さん集まっていると、専らの噂なんだそうですねえ。

 

 よく、お店なんかでも小箱やプラケースを置いて、お釣りとか小銭を募っているそうなんですってねえ。

 

 あれ見っけて思う人、最近多いらしいと聞くんですよねえ。

 

 なんで、神社仏閣のあの大きい箱に集めてるお金の報道がないのかなあ。

 

 誰それん億円、或る団体ん十億円、某会社ん百億円ってよくやってるのに。

 

 なんとか宗とかなんとか寺、なになに神社、なになに教って聞かないよなあ。

 

 大っきい箱ですよ募金箱なんかより相当、お賽銭箱って。

 

 そういや、宗教法人の募金額ランキング争いも報道しないよなあ。

 

 でも、全国のお賽銭箱すべて合わせたら一体幾らくらいになるのかなあ。

 

 消費税上げなくても、無駄もそのままにしちゃっておいてもいいんじゃないのかなあ。

 

 お賽銭国民皆んなで1年間あげた分さえ押さえれば、足りるんじゃないかなあ、復興資金。


 

 罪を犯した者に適用されるというんですが、刑法。

 

 何の罪で、どんな刑に処せられ、その目見当はどんくらいと細かく決めてあるんだそうです。

 

 でも、ほんとうにそれでいいのかと昔から問題にされてきたそうなんですって。

 

 罪は犯さないって、人は刑法に定められているから犯さないんじゃないのか。

 

 ということは、犯した者だけでなく犯さない者にも適用されてるんじゃないのか。

 

 なのに、犯した者と犯さない者との量刑が同じなのはおかしいんじゃないのか。

 

 あれは犯す前の人に言ってるんであって、犯した者にはもう一段上の量刑があって然るべきじゃないのか。

 

 なんせ犯しちゃったんだから、犯す前の量刑はおかしいんじゃないのか。

 

 犯したんなら倍返しくらいの量刑にしないと、犯さない者との差がなくて平等性に欠けるんじゃないのか。

 

 100年以上も前からの遺物だから、公平とか平等とかの概念が欠如してるんだろうなあ。

 

 今なら誰だって、罪犯した者と罪犯さない者との差がないなんて納得しないよなあ。

 

 人殺さないから、殺したら死刑又は無期懲役5年以上の懲役になっちゃうんだよって教えてるんだよなあ。

 

 それを人殺しちゃったやつにそのまま適用しちゃいけないよなあ、それだけ言っといても殺しちゃったんだから。

 

 やっぱ少なくても倍返しだよなあ、死刑は1回じゃなく2回執行するとか。

 

 あっそうそう、今新しく議論されてるのは義務教育に刑法の時間を取り入れるべきだってことらしいんですねえ。

 

 小中学生のうちにきっちりと刑法勉強させてもらっとけば、自分は犯罪者なんかにならなかったのにって思う前科者多いんだそうですねえ。

 

 子供のうちからしっかりと教えとかないから、罪を犯した者と罪は犯さない者との差がつけられない要因にもなってるのだと指摘する法律学者が増えてるそうなんですってねえ。

 

 「今や世界の国々じゃあ小中学生の授業で刑法の時間あるのは当たり前になってきているらしい」と聞いたことある人を知ってる人の噂を聞いたことある人って意外と多さんいるんじゃないのかなあ。