平等と公平 |  もともと偏屈男の世迷い言

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【2011-04-05(火)】

 

 今不思議だなあと思っちゃうことでも、敢えて口に出したりすると、「水を差すんじゃない」って叱られそうだよねえ。

 

 頭の良い人達がやってんだからと言うかもしれないけど、無知な人間には素朴な疑問があるんだよね。

 

 冷却ってなんで水なのかなあ、他にないのかねえもっと効率よく冷やせるもんてないのかねえ。

 

 溢れる分は何故凍らしちゃわないんだろうか、氷にして冷凍船に積んで今現在使ってない日本固有の島へ置いてくればいいのに、どうせ鯨取りに行かないんだから。


 

 平等っていうと、どんな人でも差別なく同じ扱いが受けられるって感じかしら、人権に係わることなんかはいつも声高に叫ばれてるよなあ、それで全くいいのだし文句はないんだよね、兎に角人は平等でなくっちゃ。

 

 先ず、平等って言うと一人一人が持ってるものは同んなじってイメージだよなあ、誰でも皆んなが同んなじものを持つことができる。

 

 差は生じないのが大前提だろうなあ、いい例が選挙権、一人一票が原則ですもんね、金持ちには二票貧乏人は一家に一票なんてこたあないもんね。

 

 だから逆に一票の重みで議論されちゃうんだろうからなあ、あれーっ、てことは同じもの持たされてるって気のせいだったのかなあ、やっぱ、同じもんでも差があるじゃないの。

 

 と、ここら辺りで、公平というものが必要になってくるんだかなあ。

 

 平等にするには公平にしなきゃいけない、公平にするには差を付けなきゃいけない、ハンデを付けることで公平を期し、結果それが平等というものになる。

 

 例えば映画館、健常者は決められた入館料を払い、目や耳のご不自由な方はその半額とか。

 

 或いは美人は気立てが悪く、顔がご不自由な方は気立てがいいとか、んっ、ちょっと違うか。

 

 まっ兎に角、ハンデを付けて公平な状態にするってことを平等であるとすれば、一体そのハンデ師ってのはどこにいるのかねえ。

 

 賭け事だったら、もうその道の権威って人が必ずいて、文句付けようのない程絶妙なハンデ付けてくれるんだけど。

 

 絶なハンデ付けて貰って公平に扱われて皆んな平等なんだアアコリャコリャなんて思っていたら、実はそんなの全くの見せ掛けで、ほんとはバランス感覚の抜け落ちた独りよがりの平等だ、なんてことは露程もないと考えますがねえ。

 

 ただ、中にはヒイキでハンデ決めちゃうハンデ師も昔結構いたからなあ。

 

 今の世の中、皆んなが目が肥えているから確かだと信用してもいいかなあ。

 

 でも自分のこと考えると、ハンデの付け方ってのは難しいからねえ。

 

 酸いも甘いも嚙み分け続けて半世紀、ハンデの魔術師と呼ばれたあのお方なら、今どんなハンデお付けになるんでしょうかねえ。