村の たたずまいも景色も
多分 百年 変わらない 私の 生まれ育った村です。
(家や道路は 今風にきれいになってますが)
自分が生まれ 育った場所が もうどこにも跡形も無い
というかたも たくさん居られる事でしょうね。
[故郷]の 唱歌を聞くと いつも目が潤んでくる私が居ます。
主人は 博多っ子なので 私の気持ちは全く分からないようです。
実家があった所は ビルが建ち
周りの風景も すべて 変わってしまって
(おれには あんたのいう ふるさとが無い)
と良く 言っています。
村の 高台にあった 分校。
(もちろん もう 何十年も昔に 廃校です)

6つの村から 小学校3年生まで やって来ていました。
私の村に この分校はあったので
私達だけは 昼食は 家に帰っていました。
夏が 1番楽しみの
アイスキャンデー売りのおじさんが 途中で待っていたので
(10円持ってくるから 待っててよ!)
私達村の子だけの 特権でした

創立130周年?という記念碑も 何十年昔に 建立されたものか・・
二宮金次郎さんは 私達の頃からいたけど 多分リニューアル?

分校の建物は無くなったけど 村の為の プールがその後作られたようです。
けど 今じゃ防火用水?? めっちゃ 汚い

教室には 小さな図書館?文庫室があって
ほとんどの本を読みつくしました。
一番 印象に残ってるのは
古事記。
(まったく 想像もしなかった 不思議な世界にはいってしまった感覚が
今でも ありありと残っています)
教室の廊下には
男先生とおなご先生(ご夫婦でした)が飼っておられた やぎが
朝 登校すると うろうろ。
ポロポロ 糞がこぼれていました。
課外授業が良くあり そのうちのひとつ 写生コンクールの為
村中 どこで書こうと 歩き回っていました。
1番 苦手な 写生だったはずが
干し柿が吊るしてある お家を描いたら
なぜか 本校の子供も合わせて 特選に選ばれ
たまたま 美術好きな先生から
その後 何度も書かされ
ついに コスモスの花だけ描いて
(あとは 空気!なんも見えん! 図画はすかん!)
で 終了
運動会も 小3まではここであっていました。
体育も苦手だったのに
女子先生は
(○○○ちゃん 足が違う!)
(なんで しっかり 走らん!!)
マイクで 怒られ
その後 女の先生は 大嫌いになってしまうはめに
木枯らしが 吹き始めると
午後から 授業が無く
山に入って ストーブの 焚き木拾いです。
薄暗く肌寒い山奥は
ホー ホー とか コン コンという
獣の声が まるで 別の世界 黄泉の国から聞こえるようで
その遠い声の不思議さに
ほとんど 焚き木なんて拾ってない私はいつも
男の子のを ちょろまかしていました。
思い出に浸りながら
真下に見える 村を眺めていると

滅多に 見ない タクシー?
黄色のカバーをかけたランドセルの 小学生3人
声が聞こえます
(ありがとうございました〰♪)
本校も閉鎖
町には いくつもあった 小 中学が 統合され 今では一校ずつになったようです。
遠くになり
道路も整備され
なんと 今 児童は 町費からタクシー、 マイクロバスと送迎されてるようです。
(今は 少子化で 大事にされてるからね~)
と 昔を知ってる 村の人談。
私達は 本校 中学と 台風だろうが 大雪だろうが
1時間 かけて 毎朝 登校していました。
帰りも 5,6年になると
クラブ活動で 夜7時過ぎになることも多く
冬は真っ暗になり さすがに
父が 途中まで迎えに来てくれてたりしました。
携帯電話も ない訳ですし。
時代は 変わるもんです
昔と変わらず
花だけは あちこちに 咲き乱れています。


