私が 関わったわけでもなく その馬や そのかたと直接お会いした事も ありません。
あまり 競馬ファンにとって 記憶にすら残っていない馬かも知れません。
ただ こういう方達に よって1頭のサラブレットは つくられていくのだと つくづく思えるように
なり いとおしさが増すようになりました。
たくさんの ほほえましいエピソードや 悲しい運命 そんなこぼれ話を 書いてみたくなりました。
直接 取材したわけでは無いので 著作権にひっかからないような 公開のものですが(^^;
引退馬のその後を知りたいと そこから競馬ファンになったような気がします。
あるかたの ブログから 特に思うようになりました。
まずは そのお馬さんの お話から。
ある 小さな家族経営の牧場で 牧夫さんをされていた方のお話です。
それまでも 後生に名を残す 名馬中の名馬を 大手牧場で育てられています。
そこの牧場に移られてからは 家族の方以外はお一人だったようです。
(もちろん その牧場もマスコミには全く登場されませんが たくさんのオープン馬や
G1馬も コンスタントに出ている名門と言っても過言ではありません)
そこでの お話。
ある1頭の繁殖牝馬が いました。
鹿毛で とても美しく 人にもとてもやさしいおかあさんだったそうです。
テイエムメデルというその繁殖は たった3頭の馬を出しただけで急死したそうです。
美しい彼女が 亡骸になったとき その変わり果てた姿に涙が止まらず
(大きいです)動かせずクレーンで となったとき 出来なかったと。
まだ その時 離乳前の 牡馬がいました。
その馬が
テイエムサウスポー。(父はフォーティナイナー)
牧夫さんは 他の子供たちがおかあさんに甘えてる時に ひとり淋しくいる彼が不憫で
特に 眼をかけておられたようです。
幼少時代は とても 臆病な子だったと。
育成にあがるときも 馬運車に乗り込む姿を忘れられず
(きっと おかあさんがいなくって一人で耐えて来たんだから 競走馬になっても
頑張れるよ)
と 声をかけて。
もちろん 彼は頑張りました。
2000年の 京王杯3歳(当時表記)ステークスの重賞を勝っています。
その後も 2001年 ダービーに出走!
果敢に逃げて 結果は残念ですがしんがり負けでしたが(^^;
ジャングルポケットが 優勝した年です。
引退後 牧夫さんは 何年も気にかけておられ
(どこかで 誘導馬になっている)という 情報で元気なんだろうかと。
でも ずいぶんのあいだ 知る事が出来なかったようです。
そして 今年 ある関西の大学で 乗馬となってとても大事にされている彼に会って
涙が とまらなかったと。
10年ぶりの再会だったという事でした。
経済動物である以上 どうなっていても仕方の無いこと。
いつか 名馬ですら 行方不明という事が 多々あります。
でも なにかしら こういう幸せな話を聞くと 嬉しくって ますます 競馬がすきに
なります。
* 謎の牧夫さん ごめんなさい 書かしてもらいました。
あまり 競馬ファンにとって 記憶にすら残っていない馬かも知れません。
ただ こういう方達に よって1頭のサラブレットは つくられていくのだと つくづく思えるように
なり いとおしさが増すようになりました。
たくさんの ほほえましいエピソードや 悲しい運命 そんなこぼれ話を 書いてみたくなりました。
直接 取材したわけでは無いので 著作権にひっかからないような 公開のものですが(^^;
引退馬のその後を知りたいと そこから競馬ファンになったような気がします。
あるかたの ブログから 特に思うようになりました。
まずは そのお馬さんの お話から。
ある 小さな家族経営の牧場で 牧夫さんをされていた方のお話です。
それまでも 後生に名を残す 名馬中の名馬を 大手牧場で育てられています。
そこの牧場に移られてからは 家族の方以外はお一人だったようです。
(もちろん その牧場もマスコミには全く登場されませんが たくさんのオープン馬や
G1馬も コンスタントに出ている名門と言っても過言ではありません)
そこでの お話。
ある1頭の繁殖牝馬が いました。
鹿毛で とても美しく 人にもとてもやさしいおかあさんだったそうです。
テイエムメデルというその繁殖は たった3頭の馬を出しただけで急死したそうです。
美しい彼女が 亡骸になったとき その変わり果てた姿に涙が止まらず
(大きいです)動かせずクレーンで となったとき 出来なかったと。
まだ その時 離乳前の 牡馬がいました。
その馬が
テイエムサウスポー。(父はフォーティナイナー)
牧夫さんは 他の子供たちがおかあさんに甘えてる時に ひとり淋しくいる彼が不憫で
特に 眼をかけておられたようです。
幼少時代は とても 臆病な子だったと。
育成にあがるときも 馬運車に乗り込む姿を忘れられず
(きっと おかあさんがいなくって一人で耐えて来たんだから 競走馬になっても
頑張れるよ)
と 声をかけて。
もちろん 彼は頑張りました。
2000年の 京王杯3歳(当時表記)ステークスの重賞を勝っています。
その後も 2001年 ダービーに出走!
果敢に逃げて 結果は残念ですがしんがり負けでしたが(^^;
ジャングルポケットが 優勝した年です。
引退後 牧夫さんは 何年も気にかけておられ
(どこかで 誘導馬になっている)という 情報で元気なんだろうかと。
でも ずいぶんのあいだ 知る事が出来なかったようです。
そして 今年 ある関西の大学で 乗馬となってとても大事にされている彼に会って
涙が とまらなかったと。
10年ぶりの再会だったという事でした。
経済動物である以上 どうなっていても仕方の無いこと。
いつか 名馬ですら 行方不明という事が 多々あります。
でも なにかしら こういう幸せな話を聞くと 嬉しくって ますます 競馬がすきに
なります。
* 謎の牧夫さん ごめんなさい 書かしてもらいました。