ルワンダでは7月1日から4日まで、4連休だ。
この貴重な時間は、絶対に国外で過ごしたいと思っていた。まだ確実に仕事が入らないことが確約される前から先行投資で航空券を買った。300$なので、もしダメならダメで仕方がないと割り切った。
とにかく間違いなく言えるのは、ルワンダを離れ、先進国に来るというだけで相当なストレス発散になるということだ。言ってみれば非日常体験。
ドバイはメトロやタクシーをはじめとして公共交通機関が充実しているし、超大型のモールがそこら中にあって、欲しい物はほとんど何でも揃うようになっている。ルワンダからだと、実質夜行で行くことになるので、もし運よく3時間ほど飛行機の中で寝られれば、着いた一日目もほぼ丸ごと行動することができ、非常にお得な日程なのだ。
空港に着いた途端、明らかにそこが先進国であることに感動した。
なんだかんだいって、先進国に来たのはこの前日本に帰って以来半年ぶりだ。それほど長い期間先進国を離れたことは今までの人生においても初めての経験だ。いろいろと揃っていて、圧倒的な他者に囲まれた群衆の構成員として町の中を行動できるという安心感は、まだ残念ながらアフリカでは味わうことができない。ただ平和で治安が良いというだけではなく、全てのものが便利に網羅されていて、生活が豊かになることから得られる満足感なのだ。
ホテルにチェックインすると、アップグレードされていて、なんとスイートルームになっていた。とはいってもまあ部屋が2つあるだけなのだが、リビング用の部屋にスーツケースなどを置くことができ、スペース的にはかなり余裕を持って使うことができた。
一時間ほど休んでから町に出る。
暑い暑いと聞いてはいたが、やはり40度を超えるというのは尋常ではない。ただ暑い空気が周りにあるのではなく、暑さが肌に向かって攻めて来る感じだ。攻められた肌は閉塞感を感じ、ついつい日蔭や冷房の効いたスペースへと入りたくなる。実際、ホテルから一番近いモールの「デイラ・シティ・センター」まで歩いたのは5分少々だったが、それでもかなり体力を消耗しているように感じた。
しかし、モールに入った瞬間に疲れは吹き飛んだ。ありとあらゆる電化製品、サングラス、お菓子、服・・・モールの中は日本のイオンなどの先進的なモールと比べても全く遜色ないほど様々な店で溢れており、魅力的な店員がこちらに向かって手招きしている。中には日本のダイソーや紀伊国屋書店なども入っており、外国独特の疎外感を感じることもなかった。
ここではまず、どこでもインターネットに接続できるようにするためにSIMカードを購入した。例によってSIMフリーの携帯電話がないと初期設定ができないとかなんとかで困っていたところ、おそらくフィリピン人とおぼしきお兄さんが手伝ってくれて無事に完了した。ドバイは発展の過程で大量のフィリピン人を取り込んだようで、町のいたるところにフィリピン人に見える人の姿が目についた。英語が堪能な彼らは、サービス業というくくりでまとめられる金融、飲食、ホテル、小売などありとあらゆる分野の血液としてドバイ中を流れている。
ネットが開通してポケモンGOを立ち上げてみると、さすがドバイだけあり、パッと見ただけでも目に付く範囲に5か所ほどのジムと10か所ほどのポケストップを発見した。しかし、モールの中には適当なものが見つからなかったため、とりあえず昼食にした。はじめは近くにあるシーフード料理店に行くつもりだったが、モールの中のフードコートに、なんちゃって日本料理屋を見つけたので、そこで鮭の照り焼き、天ぷら、巻きずしが付いた弁当を頼んでみるととても美味だった。値段も30dh(約900円)と、かなり手ごろなので一般庶民風の人で賑わっていた。
腹ごしらえをすますと、モールの中にあるスーパーマーケットを覗いてみた。すると、イギリスのテスコ並みに物が揃っており、卓上大型扇風機が約2500円で売られているのが目についた。これはルワンダの暑い事務所での仕事のためにも買っていこうと思っている。その他にも、ピクニックのためのビーチシートや調理用具、豆腐など、買いたいものはいくつも見つかった。
とりあえずここで何を買うかは、明日行く予定の日本食材屋さん次第なので、値段などスマホで撮影して、一旦ホテルに戻った。冷たい物を連続して飲んだせいか若干下痢気味だったが、次の予定に影響を与えるほどのものではなかったため、とりあえず30分だけ昼寝をした後、今度はダウンタウン方面を目指して出発した。
これはもちろん、世界最長の建築物「ブルジュ・ハリファ」を訪れるためである。バーレーンの友人から、予約は必須と聞いていたので、2週間前にチケットを注文しておいたのだ。メトロでドバイモールという駅まで向かい、空調も利いた通路を進んでいくと、両側に今まさに建築が進んでいると思えるビルを発見することができた。特殊なガラスの構造をしているようで、青々としたガラスが斜めの角度で取り付けられている。
ドバイは40度にもなるが、こうしたモールのへの連絡通路は冷房が利いており、とても快適に移動することができる。他方、労働者たちはこの過酷な環境で屋外労働を強いられている。その多くはバングラディッシュやネパール、その他中東からの労働者だと聞いている。ドバイはこうした外国人労働者によって支えられている町であるとも言えるのだ。おそらくこんな40度にも上る過酷な環境で働いているのだから、彼らは、我々のように空調の聞いた「ガラスのこちら側」で働いている者よりも、早いスピードで命を削っていることになるだろう。ドバイの労働現場は本当に、命を削って働く必要がある場所に思えてくる。
そんなシーンを通り越すと、ドバイでも最大の「ドバイ・モール」に入る。ここには、1000以上もの店が入っており、文字通り世界最大のモールだ。初めて入れば迷子になってしまうこと間違いなく、特定の場所を探すのにも苦労する。地球の歩き方の情報によれば、紀伊国屋書店の中に秘密のエレベーターがあり、それが地下のブルジュ・ハリファのチケットオフィスの前まで直通で運んでくれるとのことだが、いろいろと探していたがそんなものはどこにもなく、係員に聞いても「頭がおかしいんじゃないのか?」という目で見られるだけだった。
結局そのルートはあきらめ、自力で探し出してチケットオフィスへとたどり着いた。入場時間は17時00分だったが、30分遅れまでなら全く問題ないと言われたので、先に水族館を見学し、上に着いたのは18時くらいだった。サンセットの時間が一番綺麗で人気がある(しかし、入場料は別価格で高い)と聞いていたので、19時30分までは粘って昼、夕方、夜の全ての景色を堪能しようと思ったからだ。ちなみに、滞在時間に制限はない。
その目論見は正解だった。昼は遠くの方の景色が霞んでおり、いかにも暑そうな景色が広がっていたが、ドバイは砂漠なため、白い地面が美しく見えた。遠くに行くにつれて、一面の砂漠の中に、ところどころビルが林立しているエリアがあるのが分かり、多くの場所が建設中だった。少し前にドバイのバブルがはじけたというニュースを見た気がするが、どうやらそれは気のせいだったようだ。
夕方になると、砂漠の町に黄昏の時間が訪れる。
暑い暑い昼の時間にも終わりは来るのだ。オレンジ色に包まれた町は、どこか涼し気に感じられたが、これでも実際に外の気温は35度を超えている。日本の基準で言えば夕方でも猛暑ということになる。この時間になると人が増えはじめ、サンセットの時には窓側に人だかりができていた。観光客の多くは同じアラブ圏からの旅行者のようで、そこに中国人や欧米人が混ざっているといった感じだ。どうやらドバイは周辺のアラブ諸国の人にもかなり人気のようだ。
しばらくして、ポツリ、ポツリと灯り始めた灯りは、少しずつ広がっていき、まるで荒野に花が咲き誇るかように、美しく妖艶な夜景が出現した。オレンジ色の幹線道路の灯りがつなぐのは、それぞれのタウンだ。遠くの方のタウンはやはり霞んでおり、ぼんやりとした光が密集しているようにも見える。そのほかにも、大きな幹線道路にはかならずオレンジ色の電灯が並んでおり、それらが遙か遠くの砂漠まで続いていた。日常と違う世界を見る、という意味においては、ドバイは日本と、もちろんルワンダとも全く違う世界を見ることができる先進国である。そんな場所に来ることができて本当に良かったと思う。
その夜は、近くにあるレストラン「Dampa Seafood Grill」という店で食べた。ここは、グリルしたエビ、カニ、貝などを、豪快にゴム手袋で剥きながら食べるという一風変わった店である。店員はほとんどフィリピン人で、笑顔で話しかけてくれた。ドバイは本当にフィリピン人が多い。
料理の味はまあまあだったが、カニの一番おいしい部分である足を食べるための道具がなく硬い殻をむけずに、泣く泣くあきらめざるを得なかったのは残念だ。UAEはイスラム圏なのでレストランではビールが飲めず、ホテルに戻って飲もうと思ったが、なんと宿泊しているコプソーンホテルは、完全にアルコールの持ち込みが禁止されているようで、当然バーもなかった。仕方が無いので、近くにあるIbis Hotelまで歩いて行き、そこのバーでSteraを注文した。ステラはイギリスに居た時にかなり愛飲していただけに、なつかくも感じられる味だった。まあ、レストランで食事のついでに飲むのではなく、このように、「わざわざ」ビールを飲みにバーに入るのも、たまには良いかもしれない。