日本は、夏真っ盛りだ。夏、家族でどこに旅行に行くことが多かったのかと思い出すと、間違いなく長野県だ。長野は標高が高く、高原は夏でも涼しい。それに加えて美しい草木や渓谷の風景も堪能できるので、ただ避暑のために旅行に行くというわけではなかったが、暑さから逃れられるというのも、ひとつの大きな魅力だった。実際に、東京からもその美しさと涼しさを愛でるために多くの観光客が押し寄せた。

そして今日、ルワンダでまるで長野にいるような体験をした。
起きた時は何の変哲もない朝だった。赴任したてのころというのは、毎日青空が広がっていたが、最近はイマイチすっきりとしない曇り空のことが多い。雲の切れ目から若干の日差しは差し込んでいるものの、青空は全体の10分の1くらいしか見えなかった。
ルワンダでは、日本のように、白い紙を空一面に貼り付けたような曇り空になることは少なく、空模様はダイナミックである。今日に限っては仕事もなかったし、一日家で本を読んだり、映画を観たりしてゆっくりと過ごしていた。

異変は空が暗くなってから起こった。
空模様があわただしく変化しだしたかと思うと、どこからともなく風が吹いてきて、それに乗せられるようにこれまでに2度ほどしか降らなかった雨が降り出した。はじめは、霧雨のようにパラパラと降っているだけだったが、やがて雨脚は強くなり本降りになった。ルワンダで経験する初めての本格的な雨だ。乾いた地面は、雨を受けて独特の匂いを放っている。乾いた地面がだんだんと濡らされていくにつれてじわりと湧いてくるようなあの匂いだ。

ちょうどランニングに出ようと思っていただけに、「どうせすぐに止むだろう」という希望的な観測を持っていたが、どうやら今回はかなり長い時間降っているようだった。あれよあれよと言う間に地面には水が溜まっていき、目の前の国道を走る車の足元にも小ぶりながら水しぶきが見られるくらいまでになった。
仕方がないので、ランニングをすることを諦めて、ビールを飲みながら昼にデリバリーしたピザの残りを食べた。イタリアン専門店のものだけあって、味も非常によく、ビールと合った。

しばらくして、今日ほとんど家から出ていないことに気付き、少し散歩しようという気になった。外を見ると、先ほどまで電灯の下に見えた雨による細かいいくつもの線は消えてなくなっていた。
部屋のベランダに出てみると外がいつもよりかなり寒いということに気付いた。そこで、ルワンダに来て初めてウインドブレーカーを着込んで外出した。

階段を降りて外に出ると、心地良い夜風に迎えられる。冷たくもなく、暖かくもない、涼しいという形容詞が一番適切な夏の風だ。暑い中で生活していると、涼しいということ自体にテンションが上がる、あの雰囲気がそこにはあった。
これまでほとんど雨が降らないことにより、空気中に漂っていた埃や塵は、先ほどの豪雨で全て洗い流されて、空気はどこまでも澄んでおり、幹線道路の街灯も、はるか先までくっきりと見ることができた。
僕は大使館前を通過して、お気に入りの場所へと向かった。
目の前が深い谷となっているその場所からは、谷を挟んで反対の丘に、キガリ中心部を見渡すことができる。今日は、その光景も一段と澄んで、かつ輝いて見えた。幹線道路にある街灯は暖かなオレンジ色をしており、それがキラキラと輝くアクセサリーのように連なって、向こうの町へと続いている。空の黒も一層引き立っており、光を集めているキガリ中心部は、まるで蜃気楼の中オアシスのように幻想的に輝いて見ることができる。それはまるで、漆黒の世界に現れた光の王国のようであった。

そんな風景に見とれていると、またどこからともなく風が吹いてきて近くの草木をかすかに揺らした。
耳を澄ませるとくさむらの中からは虫たちの声が聞こえてくる。日本でいうコオロギのような虫がそこに住んでおり、この涼しさの到来を喜んでいるのだろう。
僕は、この雰囲気に、お盆の家族旅行で行く長野を思い出す。

うだるような暑さが続く岐阜に嫌気が差した僕たちを、山の涼しさで冷やしてくれるのが夏の長野だった。本当の楽しみは、夜になってからだ。昼間の日差しもなくなり、まるで違った世界にやってきたかのような涼しさに満点の星空が色を添える。

今、僕は長野にいると思った。体全身で、涼しさを、風を、山の清々しさを感じている。
ルワンダの新たな魅力に気付かせてくれる、そんな夜だった。